『命のバトン 津波を生きぬいた奇跡の牛の物語』著/堀米薫(佼成出版社)

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宮城県農業高等学校、通称「みやのう」では、生徒たちが三十四頭の牛を大切に育てながら、牛のコンテスト「共進会」を目指してがんばっていました。ところが、二〇一一年三月十一日、東日本大震災がおこり、大津波が「みやのう」におそいかかります。生徒たちだけでなく、牛の命も守ろうと奮闘した先生たち。その手によって助けられた命は、やがて被災した人たちに大きなはげましを贈ったのです―。(BOOKデータベースより)
あの時の恐怖がよみがえります。あのなか、「みやのう」の学生たちが代々も護ってきたDNAを継いだ牛たちを救おうと、命がけで飼育小屋に駆け付けた先生方の熱い思い。津波の迫る寸前、飼育小屋につながれた牛たちを放すことはできたのですが、直後、押し寄せてきた大津波。死を覚悟した先生方を救ったのは「みやのう」の高台にあった農場の滑車の鉄骨でした。
無事でと願った牛たちの多くが溺死したなか、高台に逃げて助かった牛たち、遠い町でみつかった牛たち、どこの牛ともわからないのに、餌をやってくれた町の人々…どの出来事も、あの時の出来事と思えば、胸に迫ります。
人も動物も助け合ったあの日、あの時……命の温かみがしみじみと伝わってきます。
命の瀬戸際に追い詰められた時、牛も人も命の温かさにこそ、心を癒されるのかもしれません。

『クマに森を返そうよ』著/沢田俊子(汐文社)

クマに森を返そうよ

クマに森を返そうよ

ツキノワグマはどんぐりが大好きな、おとなしくて、やさしい動物です」クマと森と人を守る活動をしている森山さんは、こう語ります。最近、クマが人里に現れた、というニュースが増えています。なぜ、森でくらしているはずのクマが、人里に現れ、ときには人間を襲うようなことが起きているのでしょうか。(BOOKデータベースより)

日本の山に、杉、ヒノキといった人工林が増えすぎ、広葉樹の森が伐採されることによって、水源が危機に瀕していると、長くいわれてきましたが、それと同時に、山に実のなる木がなくなって、町へ降りてくる野生動物が年々増えています。ことに、人間より大きな力を持った熊はおそれられ、問答無用で射殺されることが、まだ行われています。
射殺された熊を解剖してみると、がりがりに痩せて、お腹がからっぽだそうです。
人間が山を荒らしたために、食べ物がなくなったから、仕方なく町へ降りてきてしまう熊を殺し続けたら、絶滅危惧種でもある日本特有のツキノワグマは絶滅してしまいます。
ツキノワグマはふつう、木の実や魚、昆虫しか食べません。人間を見れば逃げていきます。
人間を傷つけるときは、いきなり出会って、熊自身が恐怖を感じた時だけです。熊は優しい動物だとわかる逸話はいくつも書かれています。
熊を護ることは、森を守ること、ひいては、人間の命のもとである水源を守ることにつながっているのです。
この本には、「日本熊森教会」という、まるで童話に出てきそうな団体が登場します。
山にドングリを贈ろうという活動があったのを覚えていらっしゃる方もあるでしょう。あれは、この協会の方々の活躍でした。しかも、自然体系を壊さないよう考えに考えた方法で行われた作戦でした。
なのに、内容をよく御存じない有識者によって自然体系を壊すと新聞に書かれたことがあるそうです。実際はその方も内容をよく知って、自分が間違っていたとあやまられたのですが、それは新聞には載らなかったそうです。
熊という種を守ることは、他の動物も、森全体を守ることにつながり、日本の水資源も守られます。
そういったことが、誰にでもわかりやすく書かれています。
たとえ、人工林であって昔のように手入れの行き届いた森は日差しが入って、下草や低木が茂ることはできると、以前聞いたことがあります。それらに実がなれば、人工林といえども、いくらかは動物を養うことができるのかもしれませんが、現代の日本の山々は、手入れされなくて荒れ果てた人工林が多すぎるのです。
「日本熊森教会」は、ボランティアで、見捨てられた人工林の間伐を行い、広葉樹の苗を植えたり、工夫して、自然に広葉樹が育つように活動なさっています。山に食べ物があれば、森の動物と人間は共存できるのです。心から応援したいです。