わたしを作家にしてくれた一言

ぶぶ漬けさんの写真.龍の彩雲」
探し物をしていたら、なんとも懐かしい作文が出てきました。私がまだ高校一年生になって3か月ほどの頃の、現代国語科に提出したプリントです。
幼く子供っぽくて、そのくせ、精一杯背伸びしたような作文ですが、ここにアップしてみます。
 
「高校生活」           一年四組四十番 

高校に入ってもう三か月。そして、また期末試験が目の前にせまって来ている今。あらためて高校生活なるものをふりかえってみる。
高校生という新しい名前を夢みて入学した私が、高校生活という名のもとで、一番はじめにかんじたこと、それはまるで夢みた高校生活の印象ではなかった。中学とまるでオナジじゃないか、中学の継続みたいだ…。そう思ったのです。
しかし、それは、私と同じように子供から一歩足を踏み出したばかりのまだ高校生という名に値しない同格の人たちをみていたからなのです。
日がたつにつれて、私はそのことに気付きはじめました。クラブ活動、校内討論集会等を通して、上級生の方々のしっかりした考えや行動に目をみはり、同時に同級生の成長、そして、自分自身の考え方の成長におどろき、そこではじめて真の高校生活の印象を受け取ったのです。
今までの私には、ほんの小さなエリート意識がありました。それはだれに対するというものではなく、ひょっとすると、自分に対するものだったのかもしれません。
しかし、そのほのかな満足は、高校生になってたった二ヶ月足らずで吹きとんでしまいました。中間テストという形で。
そして、後にのこったのは大きな敗北の悲しみと、人に対する劣等感と、中学時代をなつかしむ心でした。
ところが、中間が終わり、期末が近づくと、今度は小さな小さな闘志が湧いてきたのです。そしてまた、以前の夢、高校生活の入ったばかりの頃、そっと胸にしまいこんであったあの夢なのです、あの夢が、私にまた、ささやいてきたのです。何をささやいているのかは、私にもわかりません…。
けれど、夢はあまいことばかりを、私にささやくのです。私はふりはらいました。夢をみるなら、テストが終わってからにしろ…と。
作文を書いている今も、夢は私にささやいています。なにかわからないあまい言葉を。
私は、この作文を書くことによって、そのいじわるな夢をどこかへほうり出そうとしているのです。そして、夢は今、徐々に、私から離れようとしています。そして小さかった闘志が勢いよくもえ上がりかけているのです。今、徐々に。
この作文が「高校生活」という題名にあてはまったかどうか疑問ですけれど、この作文がいくらかでも、私の心の動きをあらわせていればうれしく思います。
             七月八日 
                雨のやんだ四時限目

この作文に、当時の現国の白川先生は、赤ペンで「A」と記入してくれました。そして、最後にも、赤ペンでコメントを書いて下さったのです。

そのコメントです。
「貴女は文を書く才能に恵まれていますネ。大切に育てて下さい。
その為にも、高校生活で、何を学び、考え_将来、何を実践するか、です。
内なる自分の世界と、外なる矛盾した社会とを、しっかりみて、考えて下さい。勿論、勉強をしっかりやることです。」

私に文章の才能があるといってくれた最初の(学生時代はたった一人の…)先生でした。この言葉は、ずっと私の胸の中にそっとしまわれていたのだと、作家になってから気付きました。私にとって、学校教育においての教師との出会いは苦いものが多かったのです。でも、この白川先生だけには、受け入れられたと感じたことを覚えています。
無論、この頃、作家になるなんて思ってもしませんでしたが、先生の「貴女は文を書く才能に恵まれていますネ。大切に育てて下さい」という言葉は、この時から無意識の底に沈んで、ずっと私を支えてくれたような気がします。
私は高校三年間、国語はずっと「5」でした。なぜかというと、授業が楽しかったからです。もっとも、語学系は強かったけれど、理数はだめでした。
先生のいってくれたように、勉強をしっかりやることには成功したとはいえません。
でも、私を作家にしてくれたのは、白川先生の温かくて大きな手だったのだと、今では思っています。
子どもは、ほめて育てるべきです。