映画公開に合わせての原稿入稿を済ませ、「シェルブールの雨傘」を観ました

いえ、入稿した原稿は、日本映画の物語なので、「シェルブールの雨傘」とは無縁です。
共通点があるとしたら、人生の切なさでしょうか……
今年に入って、次から次へと綱渡りのような仕事の連続で、原稿を入稿したとたん、どっと疲れが……。そんなわけで、録画していた「シェルブールの雨傘」を観ました。
シェルブールの雨傘」は、セリフのすべてを歌で表現したミュージカルで、主演のカトリーヌ・ドヌーブの妖精のような美しさ、ミシェル・ルグランの音楽の素晴らしさで、映画史に語り継がれる名画となりました。
ずっと以前、観たことがあるのですが、今観るのと、おそらく印象が違うだろうと思って録画しました。

たしか、名作映画の再上映で、この映画を観たことがあります。
若すぎるといってもいいその頃も、痛いような切なさを感じた覚えがあります。けれど、今感じるのは、人生の悲しみ、諦観といったものです。
若い頃より人生を長く歩んできたから、すれ違いの切なさも、運命にさからえない恋の行方も、哀しみと肯定を持って受け入れられるのかもしれません。
この映画では、一歩、踏み出したのはヒロインですが、人生には、その逆も多くあって、どちらにしても置き去られた者は、むりやりにでも自らの過去を消し去り、違う人生を生きる道を選ぶしかないのです。むしろ、人生とはそういうものなのかもしれません。
その哀しみ、切なさがこの曲に深く宿っていて、胸に迫ります。