『あきらめないことにしたの』堀米薫

あきらめないことにしたの

あきらめないことにしたの

福島県飯舘村で、農業をしながらスローライフを実践していた渡邊とみ子さん。2010年新しいじゃがいもの種芋生産が認可され、翌年には品種デビューの段階になっていた。そんな時に起こった原発事故。 作物は植える時期を逃せば育たない――大きな困難に出合い、くじけそうになりながらもあきらめなかったとみ子さんの思いとは。人と人をつなぐ「きずな」とは―人を育てる「地域」とは―。そして、困難をのりこえるための「力」とは―。原発事故で愛する故郷を追われ、くじけそうになりながらも、あきらめなかった福島の「かーちゃんたち」!(BOOKデータより)
あの震災の日、原発事故で何が起こったのか。
有機物をたっぷり含んだ水田や畑、山や川の豊かな恵み、それらすべてが、原発事故のために汚染され、取り返しのつかないことになりました。飯館だけではなく、福島県の約十万人もの人が故郷を追われ、避難生活をせねばならない事態になったのです。
その汚染を除くためとして、現在も行われている「除染」というのは、実際には、汚染された植物や表土をはぎ取って、フレコンバッグという袋に詰めて、どこかに移動させるだけのことなのです。
そして、その土は、大地に生きる人々が何百年もかけて耕し、せっせと有機の肥料を入れ、ふかふかのお布団みたいにした豊かな土なのです。それをはぎ取って「放射性廃棄物」と名をつけますが、その廃棄物は捨てる場所がなく、原発を動かせば、事故がなくても、「放射性廃棄物」はどんどん増えて、結局、狭い日本に際限なくたまっていくだけなのです。
そんな恐ろしい巨大な化け物のような人災とどう戦えばいいのでしょうか?
誰だって、その場に追い込まれたら、絶望し、生きる意欲を失ってしまうでしょう。けれど、福島のかーちゃんたちは「あきらめないことにした」のです。
その決意のかげにある、果てしない悲しみの深さと、恐ろしい地獄のような体験こそ、私たち日本人すべてが担うべき事なのだと、私は感じました。
他人事では決してないことを、皆が胸に刻まなければなりません。その上で、原発をまだこれからも続けるのかどうかも、自分の事として考えなければなりません。
原発事故後、国が決めた放射性物質暫定基準値は、一キロあたり500ベクレルでした(事故のなかったそれまでより、はるかにゆるくなった基準値で、国の基準値は、世界の常識からしても、全く信用ならないと、大きな問題になりました)。
けれども、福島で再び農業を始めたかーちゃんたちは、1キロあたり20ベクレルという独自の厳しい基準値を決め、安全な農産物を目指したのです。
家も土地も職場も、故郷も失って、身も心も傷つきながら、それでも、明日の希望のために、あきらめないことを選択したその人、渡邊とみ子さんの姿が、福島のかーちゃんたちの姿が、作者の丁寧な取材によって一冊の本になりました。
日本中の大人も、子どもも、この本を読んで知るべきです。
あの時、何が起こって、今もまだ続いているのは、いったい何なのかを……一人一人の目と心で、確かめて下さい。