【書評】『うばかわ姫』に寄り添って下さってありがとう

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季節風が届きました。


『うばかわ姫』の書評を土山優さんが書いて下さってます。
ありがとうございます〜
ここに書かれている姥皮がはらりと解ける(脱げる)理由について、物語の中で、確かに明確には書きませんでした。説明すれば、蛇足になると思ったからです。ただ読者さんの一部にも、「なぜ、姥皮の呪いが解けたの?」とおっしゃる方がいらしたことも事実です。
でも、推察できるようには書いたつもりです。野朱の心になって読み返してみて下さい。
姥ヶ淵の姥は言いました「姥皮は、お前の身内に、生きるための気が、心底から湧き上がってきた時、おのずと脱げるだろう…」と。
己の出自と美貌だけが生きる糧で、東国の領主の側室になること以外には道を閉ざされた野朱には、湧き上がってくる気などあるはずもなく……けれど、夢の世界で、お濠という野生の女の魂と幾度となく同化し、お濠の愛と重なり合うことで、夢から覚めたその時、込み上げてきた熱い思い……それこそが、守るべき者を得た生きる気ではなかったでしょうか?
書きながら、私にはそういう野朱の心の声を感じたのです。
つまり、呪いを受ける理由も、解ける理由も、野朱の身内にあったのです。
…なんて、蛇足及びネタバレを書いてはいけませんよね、ごめん! 
本文に説明文を書いた方が良かったのか、いや、書かないで良かったのか…を、私も少し悩んだけれど、やはり、こう思うのです。
小説は心で読んで貰うものです。だからこそ、主人公に心を寄り添わせて読めば気づける事は、書かない方がいい…と。
この書評では、土山優さんが、小説の世界観に寄り添って下さったことで、作者もはっとするような気づきをして下さったように、読み取り方は色々あっていいと思います。
作者が狙った形だけが唯一ではないのです。
ただ、この書評のように、どこかで心を寄り添わせてみてほしい…と願います。