『牛の消えた村で種をまく までいな仲間とともに』写真・文/豊田直己


フェイスブックで知った貴重な一冊です。
美しい故郷で、ひたむきに、人にも自然にも愛と真心を尽くして生きてきた人々に襲いかかった原発事故。まき散らされた放射能によって、すべてを失った福島、飯館村の人々の哀しみと苦闘の記録です。これを、他人事だと思っているなら、この小さな美しい国、日本は終わってしまう。全国の海辺にある原発は、いつ、同じことが起こるかわかりません。田舎のおじいちゃんやおばあちゃんを支えるように、日本人みんなが目を向けなければならない記録です。
 「日本一、美しい村」とよばれた村が、福島県の北東部、阿武隈山地にありました。その村「飯舘」は「までい」な村とよばれます。「までい」とは、この地方のことばで、「手間ひまかけて」「ていねいに」「心をこめて」といった意味があります。この村の美しさは、村の人たちが、「までい」に田畑をたがやし、牛を飼い、村づくりを続けてきたたまものでした。乳牛50頭を飼う長谷川健一さんも、酪農家の仕事のかたわら地域の区長として、「美しい村」づくりを率先してきました。その村に突然、放射性物質が降り注ぎました。そして、村には全村避難の指示が出され、「美しい村」は、「だれも住まない村」「牛が消えた村」になってしまったのです。それでも、長谷川さんは「美しい村」が、家族や仲間とともに暮らした家や集落が、荒れ果てていくのを、ただ見ていることはできませんでした。そこで、ふたたび、仲間とともに草を刈り、畑をたがやし、種をまきはじめます。(BOOKデータより)