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作家/ドリアン助川さんの新刊です。

線量計と奥の細道

線量計と奥の細道

3・11後の日本がどうなっているのか、目と耳と足で確かめた路上の記録。芭蕉の背を追って、逡巡しつつ、生きるを考えるエッセイ(BOOKデータより)
読み始めて、ドリアンさんの行動力に圧倒されました。同じ旅をしてみたいと思っても、今の私では体力も意志の力も、全く足りないからです。線量計を手にして、芭蕉の足跡をたどる勇気もありませんでした。というのは、私はチェルノブイリ事故直後から、原発に大きな不安を感じて、原発をやめてほしいと思っていたので、まだ幼かった娘を連れて、まだまだ参加者が少なかった脱原発デモにも参加していました。その頃は、福島の事故が起こる3.11のずっと前ですから、脱原発運動はうねりになってはいませんでした。でも、私は、アメリカのスリーマイル島で起こった原発事故やチェルノブイリ事故を見て、次に事故が起こるのは日本ではないか……という不安をずっと持っていたのです。
そんな中、3.11の大地震津波にによる福島の事故が起こりました。そう、日本という国は、あの太平洋戦争中にも地震や台風に襲われているように、いつでも地震災害や水害の起こりやすい国だったのです。その自然災害が人災を引き起こす危険はずっとあったのに、日本人の多くは気付いていませんでした。その事故が福島で起こってしまったのですが、時代小説でずっと会津新選組を愛して書いてきた私にとって、心の故郷で起こった事故でした。けれども、こういう事故は日本国中いつどこで起こっても不思議はないのです。そんな地震国の日本で、傷ついた故郷や人々を救う事こそが一番大切なのに、まるで事故を忘れたかのように原発は再稼働されていっています。
あの日、3.11がなかったら……と、私も思います。なぜなら、あの日に、日本人は二つに引き裂かれたのかもしれないからです。あれ以来、原発事故の放射能汚染を追求すれば、汚染された地域に住み続けなければならない人々を傷つけるのではないか……と、反原発の人々は恐れを持たないでいられませんし、汚染を知っていてもそこから動けない人々は、そこで生きる為に、汚染を声高に叫ぶ人を恐れ、憎んでしまうような事も起こるようになりました。そんな日本で、線量計で汚染度を計りつつ旅をすること、汚染度を発表することへの迷いも、ドリアンさんは書いておられます。けれど、汚染された町や田畑で頑張り続ける人たちこそが、ドリアンさんを励まして下さったことに、私は胸が熱くなりました。
けれど、このエッセイは声高に思想を述べるようなものではありません。人と人の触れ合い、傷つき汚染されてもいまだ美しい景色で人を癒してくれる日本の故郷の情景が、目の前に拡がるように描かれています。
この本を読んだ人は、美しい故郷を思い、愛し、だからこそ、その故郷を傷つけた原発というものに疑問を持つでしょう。
私は、この本にご紹介されている「谷村美術館」に行ってみたいと思ったり、芭蕉の旅にも登場する源義経が非業の最期を遂げた地や、源(木曽)義仲が平家に勝利した倶利伽羅峠のお話などは、今まさに義経を書いている私は、邂逅のような気持ちで読み進めました。そして、若い頃、大部屋女優だった私は、中村敦夫さん主役の「木枯らし紋次郎」の撮影には、ほとんど毎日のように通っていました。大抵は小さな役や主演女優さんの代役などでしたが、優しい敦夫さんは「もう、レギュラーだね」とお声をかけて下さいましたし、冬の山畑での撮影では「寒くなかった?」ともいたわって下さいました。そんな思い出の蘇る敦夫さんが、今や私も所属する日本ペンクラブのメンバーでいらっしゃるのですが、その敦夫さんが今も原発の危険性を語り続けて下さってるのも、この本で知って、一気に40年近い時間と距離が縮まった気がしています。
この一冊は、決して思想操作の本ではありません。ひたむきに人と自然に接しつつ旅を続ける現代の奥の細道紀行です。
人間へ……生きとし生きる命への愛がこめられた感動の一冊です。