新選組集結!

月下花伝―時の橋を駆けて

月下花伝―時の橋を駆けて

新選組の取材に行ってきました。
先日、日野、高幡不動新選組が集結したのです。
お誘い下さったのは、新選組近藤勇局長の生家ご子孫の宮川清蔵さんです。
古武士の風格を感じさせる清蔵さんは天然理心流第九代宗家道統でもあられます。
今回はその兄上、宮川豊治さんが続けてこられ、一度は中断した「新選組を語る会」の復活第一回の集まりでした。
この日、集結した新選組ご一統の名をお聞きになって驚くなかれ。
◇まず、上記の近藤勇ご子孫、宮川ご兄弟。
さらに清蔵さんのご子息宮川清志さん(背の高いハンサムな青年)。
新選組副長土方歳三五代目ご子孫の土方陽子さん。
この土方家は、代々美形の家系です。
陽子さんの娘さん麻美さんは、歳三そっくりの美貌の持ち主なのです。
新選組の大きな後ろ盾であり、近藤、土方たちの日野の大兄貴であった佐藤彦五郎のご子孫佐藤福子さん。
ただ今、新選組幹部の多くの資料が残っているのは、この彦五郎一家が命をかけ薩長軍から逃れてまで、資料をのこしてくださったからなのです。
この彦五郎さんの奥さんは、土方副長こと歳さんのお姉さんお信さんでした。
◇さらに、新選組幹部副長助勤、八番隊組長永倉新八(長倉とも書く)のご子孫、長倉達郎さん。
達郎さんは、長生きをして新選組のみんなの名誉回復に奔走した新八っつぁんにそっくりのお方でした。
◇そして、新選組幹部副長助勤、源さんと親しまれている六番隊組長井上源三郎ご子孫の井上雅雄さん(この方も現在天然理心流剣士です)。
◇一番隊組長、沖田総司ご子孫の沖田整司さんは今回ご欠席で残念でした。整司さんは、かの総司を彷彿とするようなもの柔らかい紳士でいらっしゃいます。また総司忌でお目にかかれるのが楽しみです。
で、今回はスペシャルゲストがいらっしゃいました。
◇近藤さんを流山で失い、傷心のまま戦鬼となった土方さんと共に、北海道五稜郭へ向かい、最後まで共に戦った幕府軍の総帥、かの榎本武揚さんのご子孫がいらしたのです。
ご夫婦でしたが、さすがに幕府側エリートのご子孫の風格がにじみ出ていて、家系、血はあらそえないと感動しました。
さらにさらに、流山でみじめな敗北を味わって江戸にもどってきた土方の馬をひいていたというのが、松本捨助青年でした。
彼は近藤付きの小姓でしたが、この時はすでに近藤は薩長軍に出頭していました。
このあと、近藤は正当な裁判も受けられず、武士たる切腹も許されずに、斬首されました。
首は板橋で三日間、京に運ばれ三条河原でも三日間さらされたといいます。
敵ながら、武士として生きた近藤に対して、ひどすぎる仕打ちでした。
これを行った連中こそ、さむらいではないと思います。
ただ、この処刑には遅れてしまったのですが、薩長軍の中にもその処刑のやり方を怒った人物がいたことだけが救いです。
◇思わず怒りがこみ上げて話が長くなりましたが、この捨助青年のご子孫もお見えだったのです。
今回改めて感じたことは、ご子孫方はどの方も、脈々と流れる血筋の尊さを感じさせる方々ばかりでした。
忙中でしたが、行ってきて良かったと思っています。
新選組研究家であり作家である伊東成郎さんのご講演もあり、各資料館めぐりもあり、忙しすぎる一日でした。
今回、日野は二度目でしたが、時間をこしらえて、また行きたいです。
あ、新選組流山隊の隊長の松下さんにもお目にかかりました。
時間がなくて、今回はお話しできなかったのですが、流山にも行かなくては……。
まあ、それは来年ですけれど。
今は『続月下花伝』を書いています。
宮川清蔵さんから「いつ出ますか?」と聞かれました。
「年内には入稿しますので、おそらく、来年の春ごろ」
と答えました(汗)。が、がんばります〜