『子どもの読書推進事業』の廃止に反対します

『子どもゆめ基金』『子どもの読書推進事業』が廃止の方向とか。
ひどすぎます。天下りさえ退治したら、子どもはどうなってもいいのか! と、声を大にしていいたいです。
ことに『子どもの読書推進事業』は、先進国を自認するなら、決して廃止してはいけないはず。子どもが本を読まなくなれば、この国の将来はありません。
国語、言語というのは、読書によってこそ、深く広く学び、洗練され、神髄を理解できるものです。学校の教科書だけで理解できるほど、一国の言語は浅いものではありません。
子ども手当てで、お金だけばらまいてそれでいいのか、よく考えてほしいです。
イギリスでは、子どもが自分で選んで本を買うためだけの手当というかチケットがあるとききました。国や自治体がおこなう、子どもと本が出会うイベントもかずかずあります。
廃止をおっしゃる方々は、子どもは食べさせて、服を着せて、好きなゲームをやらせておいたら育つとでも思ってらっしゃるのでしょうか。
活字を読んで、自由に想像力をはばたかせ、自分だけの素晴らしい世界を創造する、これは本だけがもっている特性です。ゲームにも映画にも代われない、個性的な人間を育てるための究極のアイテムなのです。
想像力のない子どもは、いじめをします。相手の痛みを想像できないからです。
想像力のない子どもは、真実の美がわかりません。画一化されたステレオタイプを美だと勘違いします。
想像力のない子どもは、自分の価値観を見出すことができません。他人のいいなりになり、多数に支配されます。
そんな国民ばかりになっては、この国の将来は絶望的です。
子どもが大人になっていく過程でぜったい必要なものは、「自然」「愛」「心を育てる言葉」です。
いつでも子どもが遊び回れる身近な自然と、子どもを愛し育ててくれる大人たちの社会、そして、本は楽しいものだと体験させてくれる機会と、手を伸ばせばとどく面白い本がそこにあることを、先進的というのです。
どうか、考え直して下さい。民主党政権のみなさま。
子どもにとって、本とは、心と魂の栄養なのです。大人になってからでは取り返しがつかないのです。
「僕は子どもの頃、本なんか読まなかった」という大人の方も、振り返れば思春期に本を読まれているでしょう。「今も昔も読んでないね」という方が、もし素晴らしい人格の方なら、それは大きな自然に抱かれて育った方でしょう。あるいは、人並み外れた大きな愛と魂をそそいでくれた育ての親をもつ方でしょう。
そうでなければ、その方たちも、子供時代に大切なものを失っているのです。自分がそうだったから、今の子どもが大丈夫と考えるのは間違っていますし、自分がすでに失ってしまったものは、自分では発見できにくいものです。
現代の都会には、子どもを抱きとめてくれる大きな自然も、大きな大人も、なかなかみつからなくなっています。現代の子どもたち全員が、そんな自然や、そんな大人に出会えるはずはないのは、誰の目にも歴然としています。
現代の子どもは、現代の大人が子どもだった時よりずっと大変な環境で生きているのです。子どもの心の成長には、お金があればいいというのではないのです。本で得られる無限の想像力の必要性は、昔より、ぐんと増しているといっていいのです。
『子どもの読書推進事業』は、国の義務です。人員を交替してでも、もっと力を入れて本腰でやらねばならない事業です。