日本という運命共同体

友人作家が、著作の増刷が決まったので、その印税を寄付すると聞きました。
貯金もできないような自転車操業の作家にとって、それは身を削るようなお金です。その友人を尊敬します。
私も見習いたいと思いますが、一番近くの収入までまだ数カ月はかかる身には、まとまった寄付金を用意できません。
私の場合、歴史物が多く、一冊の本を書くために数百冊の資料が入用なこともあり、印税が入るまでは、必ず大赤字なのです。
でも、寄付は金額じゃないから、今できることをするつもりです。
希望は、もうすぐ、新刊『江 浅井三姉妹戦国を生きた姫たち』が出版されることです。
その印税が入ったら、そこから、少しまとまった寄付をしたいと考えています。



それにしても、このところ、毎夜、眠れません。
仕事をしていても、脳内は集中できず、今自分にできること、役に立つことはないだろうか…と、思い続ける毎日です。
地震津波に被災された方々、子どもたちの映像に胸が張り裂けそうなのに、その上、刻々に報じられる原発の危機。
今こうしている間も、どれほどの恐しいことが起こっているのか……と考えれば、胃部に重い恐怖の塊を抱えているようで、精神も体調もおかしくなってきます。
でも、こう思うのです。
これから、どんなに恐ろしいことが起ころうと、この日本という国に生きる人間は運命共同体なのだと。
放射能が拡散したからといって、海外に移住できる経済力のある人はひとにぎりです。
大方の日本人は、何があっても、この日本列島のどこかで生きなければならない。
だとすれば、覚悟しよう。
何があっても、命がある限り、未来を生きる子どもたちのために頑張ろうと。
今日この日たった今から、あらたに授かった命だと考えて、今まで以上に、子どもたちを幸せにする物語を書こう。
子どもたちの未来にかげを落とすような動きとは闘おう。
運命に、この命をにぎりつぶされるその日まで、一心に書き続けよう、闘いつづけようと。
日本に生きる私たちは、誰もが、そうするしかないのです。
怖れるより、立ち向かうしかないのです。
被災地の人々、救援の人々が、立ち塞がってくるあらゆる恐怖に、顔を上げて立ち向かっているように……