お座敷ロック!

12月17日(土)、作家であり、アメーバブックス新社取締役編集長、東北芸術工科大学芸術学部 文芸学科学科長教授(さらにRUDIE'S CLUB BANDのヴォーカルでもある)山川健一さんの講演会「3.11以降のディスクール(言説)」がありました。
主催は、京都造形芸術大学・文芸表現学科の皆さま。
一部の山川健一さんの愛に溢れたご講演のあと、二部トークセッションは、山川健一さん、石川忠司さん、越水利江子で、原発事故後の創作、言葉、文学などの話をしました。
講演会&トークの、山川さん、石川さんのお話は素晴らしいものでしたが、このイベントはそれだけでは終わりません。
講演会場(お座敷でした)の、
イエィッ、お座敷ロック!
ギターは、「RUDIE'S CLUB BAND」のよーじさん。ヴォーカルは山川さん。
三次会でのほろ酔い生ロックも最高でした。
来なかった人、損をしましたよ〜 ほんとに楽しかった!!!

そして、「3.11以降のディスクール」に来て下さった皆様、京都造形芸術大学文芸表現学科の皆様、ありがとうございました。
トーク・セッションでは、山川さん石川さんのお話(おまけ越水)では、原発事故によって日本人が失ったあまりにも大きなものが立ち上がってきました。
原発事故によって私達が失ったのは、故郷や健康や、のびのび深呼吸ができる喜びだけではなく、美しい自然と共に生きてきた日本人の感性、世界に誇れる花鳥風月の文化を、もろともに失ってしまったのだと、山川さんと越水は以前から思っていました。
風も雨も雪も放射能汚染され、これからの私たちは、光る風にも季節風にもおびえ、濡れてみたいような春雨も、夏の清涼剤ともいえる夕立にも、常に身の危険を感じ、野や山にも、雪解けの清流にも、魚が集う青い海にも、風が運ぶ花粉や落ち葉にさえ、おびえなければならなくなったのです。
源氏物語に溢れる、自然とともにある日本人のみずみずしい感性そのものが放射能汚染に踏みにじられ奪われる現実、未来を、これからの日本人は見つめ続けなければなりません。
一方で、石川さんは放射能汚染のホットスポットで生きるということの選択についても語られました。
「逃げないのは、愚かなのではない」とおっしゃった山川さんの言葉も重かったです。
でも、逃げない選択には、被曝という目に見えない災厄が襲いかかってくることも、覚悟せねばなりません。
逃げても逃げなくても、日本人は全員、大切なものを奪われ、それらはもう、人間にとって「永遠」といっていい時が過ぎるまで、かえってくることはないのです。
民族の感性から生まれ、歴史の中で洗練され磨かれてきた言葉も文化も、何もかも奪ってしまう放射能
そして、事故を起こさずとも、放射能を出さずには運転できない原発という存在。
それをやめようといわずに、作家である身にとって「なんの文学なのか? なんの文学者なのか?」と、私は思うのです。
原発による文学、言葉、感性への侵略、略奪をゆるしていいのかと、日本中、世界中の文学者に、芸術家に問いたいです。

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