暗闇の貴公子、京極夏彦さまの絵本

怪談えほん (3) いるの いないの (怪談えほん3) 怪談えほん (3) いるの いないの (怪談えほん3)
岩崎書店の怪談絵本シリーズの新刊。
とうとう出ました!
京極夏彦さまの絵本。絵は、町田尚子さま。編纂は、東雅夫さま。
おばあさんの古い家で、しばらく暮らすことになったぼくの物語。
暗がりに見えたあれはなに? 
いるの? いないの?
たたみかけるように、恐怖にひきずりこまれる絵本です。
かつて、古い家の暗がりにおびえたことは、私たちが子ども時代には、誰もが経験しましたが、現代の子どもたちは明るいマンション住まい、吹き抜けの一戸建てなど、家の暗がりをあまり知らないのかもしれません。外へ出ても、都会は街灯、ネオンで明るすぎるぐらいです。
だからこそ、こんな絵本を待っていました。
いつか、同人仲間の作家、あさのあつこさんと話したことがありました。彼女が江戸物のシリーズを書いている時でした。
「時代小説って、真っ暗闇の恐怖がわからないと書けないんよね。時代そのものが、想像できないから」と、私はいいました(私も、常々、時代ファンタジーを書いているので…)。
「うん、そう」と、あさのさん。
「そのための取材とかした?」
「ううん。だって、今の家、一歩出たら、真っ暗闇はあちこちにあるから。田舎だし」と、あさのさん。
「ああ、いいねえ〜 それ!」
とまあ、他愛のない話ですが、真の暗闇を知っている、真っ暗闇を想像できるというのは、実は、その暗闇の奥にあるすべてのものを想像できる力にほかならないのです。
そこに潜んでいるかもしれない刺客、この世ならぬ妖しのもの、人知をこえた何ものか……その恐怖と畏敬の念こそ、人間を人間たらしく育んでくれる見えない力なのです。
光であれ闇であれ、自然に対する畏怖を忘れてしまった人間には未来はありません。
本物の恐怖を想像する力を失ってしまった日本人は、今、大変な危機に直面しているではありませんか。
怖いものの存在は、この地球が、人間だけのものではないと教えてくれます。
怖いものを想像する力こそが想像力の基本であり、作家にとっても、人間にとっても、なくてはならない生きる知恵でもあります。
子どもから怖いものを奪ってはなりません。それは、抱かれ愛される温かさと同じくらい必要なものだと、私は思っています。
いや、実際は、都会の喧騒に生きている今の大人たちこそ、問いかけねばならないのかもしれません。
あなたは、真っ暗闇の向こうに、怖いものが見えますか? (written by 越水利江子
怪談絵本シリーズの既刊『悪い本』『マイマイとナイナイ』はこちらをクリック