あらためて、東北について

今さらながら、東北について再勉強中です。
というのも、八月には、東北芸術工科大学の文芸学科の夏期集中講座で、山形入りをするからです。講座が終了したら、まず、これまで行きたかった聖地を取材したいなと思っています。その体力が残っていればですが…(なにせ、四日間で15コマ。大丈夫か…)。
新しく買ったり、古い本引っ張り出したりの中で、今はこれ『日本の深層』(梅原猛著)を再読中。
日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る (集英社文庫) 
先月読んだ熊谷達也さんの『まほろばの風』にイメージが重なり、以前読んだ時より、重層的に面白く感じました。
また、私の高校時代には、アイヌの血をひく先輩がいました。彼とは友達付き合いが長く、アイヌ文化とその歴史に精通していた彼から、知らず知らずのうちに学んだ色々を思い出して、今さらながら、ああ、彼はこういうことをいいたかったんだなあと思うこともしばしばでした。
文中、日本人、東北人の誇りでもある平泉文化について、梅原さんはこうおっしゃってます。
「この平泉文化の中には、蝦夷の文化の遺産といわざるを得ないものが含まれる。これを蝦夷文化の遺産として認めたとしても、それはアイヌと関係がある、あるいはアイヌの文化である考えることを、日本の知識人は嫌っているらしい。昭和二十五年のこの藤原三代のミイラ調査の結果、この藤原三代はアイヌではなくて、倭人であることがあきらかになったという。しかし、実をいうと、その決定には学者の中でも異論があって、(中略)たとえば、この藤原三代の遺体には、個体的な差異があって、倭人に近いのもあるけれども、アイヌに近いのもあった(中略)日本人が自信を失っていた戦後の昭和二十五年という時代に、この素晴らしい金色文化の創造者が、アイヌではなく倭人であるといった方が、倭人すなわち日本人の感情に理解されやすかったであろう」
学問も記録もこうして、時代に翻弄されるものであり、真実は掘り起こさないとあらわれないのが現実です。
今も、懐深い縄文文化が色濃くのこる祀りの地、東北は日本の故郷でもあります。黄金の平泉文化、宮沢賢治のイーハトウヴ、柳田国男の『遠野物語』……それらはすべて、この地の自然と共に生きた人々が育んできた縄文文化から生まれたのです。
この神聖な地を、放射能で汚染してしまった原発は、歴史上もっとも酷い、悪しき倭人の侵略ともいえるのかもしれません。
これまでの違いを乗り越え、現日本人の私たちは、この貴重な東北を守る義務があります。いえ、この日本全体を、一人ひとりの手で守り抜かなければ、私たちの歴史上の存在意義はどこにあるというのでしょう。
東北の凄さを知れば、歴史の深さを知れば知るほど、たかが四、五十年程度の原発などに、この国土を、文化を、豊かな民心を、これほどまでに蹂躙されて黙っている場合ではないと強く感じます。