随想『明日を信じる力、人を信じる勇気』

かつて某紙に寄稿した随想です。読み返してみれば、今も、この思いに変わりなく、私の生きていく道を照らしてくれていると感じ、再掲載致します。

随想「明日を信じる力、人を信じる勇気」       越水利江子
「元気」という言葉を聞くと、まず思い浮かぶ顔があります。
 それは、全盲の友人、岩田美津子さんです。彼女は、世界で初めて点訳絵本を作ることを考えついた女性です。
 目の見えない人に絵は見えない。よって、絵本は点訳する意味がない。というのが、目の見える一般人の考えでした。けれども、美津子さんのお二人のお子さんは目が見えました。美津子さんは、その子たちを膝にのせ、一般のお母さんのように、母子で絵本を読み聞かせたいと思われたのです。
 そこで、美津子さんは地元の図書館の方と協力し合って、点訳絵本を作られました。目の見えない美津子さん自身が工夫された点訳絵本というのは、絵本の文章の点訳以外に、犬の絵が描かれていれば、その犬の形に切り取ったシールを貼り(シールの縁をなぞれば、そこに犬がいることがわかる仕掛け)、さらに犬が何をしているかの点訳説明も添付しました。つまり、目の見える子と目の見えない母が同じ絵本を楽しめるように出来ているのです。
 たったこれだけのことですが、美津子さんが思いつくまで、世界中の誰も思いつかないことでした。さらに、美津子さんは自分たちだけでなく、目の見えない誰もが目の見える家族と一緒に楽しめるようにと、点訳絵本文庫まで作って、日本中に点訳絵本を貸し出しを始められました。
 思いついたらすぐ走り出している、それが美津子さんです。その行動力は世界にまで拡がりました。その話は『あきらめないでまた明日も』(岩崎書店)という本にも書いておりますので、ご興味のある方はご覧下さい。
 その美津子さんの一番大きな力、それは「明日を信じる力、人を信じる勇気」でした。全盲の彼女が出来ることには限界があります。どんな時も、他人を信じ、協力し合わなければなりません。といって頼り切るのでなく、リーダーシップも取る彼女には、自分を信じ、明日を信じる力も必要でした。彼女の「元気」は、それらの「信じる力」から生まれたのだと思います。

 心動いて止(し)に帰すれば 止、さらにいよいよ動ず ただ両辺に滞る なんぞ一種を知らんや 一種通ぜざれば 両処(りょうじょ)に功を失す

 これは、私が若い頃、ご縁があった盛永宗興老師のご著書『お前は誰か』(禅文化研究所)に書かれた「信心銘」の一節です。
 老師は、これに「ものごとは必ず、動きと静けさ、やすらぎと働き、というものが対になっていて、絶対に別々ではない。二つに分かれて見えるものは、実は一つのものの表裏に過ぎない。自分と自分以外の他人は二つに見えて、それもまた一つなのだ」と、書かれています。人を愛した時、徹底して自分を殺し、愛する人だけを大切にすると自分を不幸にする。そうされた相手もまた、愛する人の犠牲のもとに自らの幸せがあると知っては、幸せにはなれない。また、反対に、人のことなど何も考えず、自分だけの幸せを徹底的に追求しても結果は同じであると。
 そうして、また、老師はこうおっしゃったのです。
「まず、自分と相手との境界線をなくしなさい。境界線をなくし、相手を自分の中に迎え入れた時、人は大きくなり、境界線をひいて、相手を自分の外へ押し出した時、人は小さくなる。境界線をなくせば、相手の喜びは自分の喜びとなり、自分の喜びもまた相手の喜びとなる。人はみな、そういう尽きることのない愛を溢れ出させる『いのちの泉』をもって生まれている」と。
 美津子さんの生き方は、私にはこの老師のお言葉を体現した姿に映りました。こどもたちにとって、人間にとって、本当に必要なものこそ、この「いのちの泉を信じる力」ではないでしょうか。
 今は遷化された老師がかつて愛して下さったのは、拙著の中でも『風のラヴソング』(講談社)という本でした。このシリーズは『あした、出会った少年』(ポプラ社)『竜神七子の冒険』(小峰書店)と続きます。私の書く本は幼年童話から一般書まであり、内容もエンタメ、ファンタジーヤングアダルトと色々ですが、どの本も「たった一つの心」で書いています。読む人に元気になってもらいたい。自分を、人を、明日を、心から信じる力をたくわえてほしい。それが、私の作品群の底に流れている思いです。
 最近、私は幕末の剣客集団である新選組の中にも、「いのちの泉」を見つけました。それで、時空を超え、現代の少女が新選組沖田総司に出逢う幕末ファンタジーを書いています。
 心を澄ませば、世界は「いのちの泉」に溢れているのです。
 どんな作品であっても、いのちの泉が溢れ出す物語を書き続ける、それこそが私の元気のもとなのです。