去年の日記から『ガラスの梨 ちいやんの戦争』#ポプラ社 


年末になって振り返ってみると、作家生活25周年を目前にした今、年始にもならないのに、来夏の新刊発行が待ち遠しいなんて初めての経験です。私にとって、この作品が如何に大きい存在なのか…と言えば、日本中を行脚して「読んで下さい」ってお願いして回りたいぐらいです。ポプラ社さん、宜しく願い致します〜(平身低頭)
以下去年の日記↓
今年(2016年)秋の〆切に単行本の原稿入稿後、資料読み込みつつ書き始めた戦時児童文学、遅々と進まない。書いては戻り、書いては資料を確認して……という作業の繰り返しで、何度も資料を読み込めば、読み込むほど、辛くなってしまうからだ。ふだんなら、300枚を一ケ月で書くのに、この冬はどうやら書き上がらない内に、早春の〆切が迫るから、そっちを書かねばならなくなるだろう。
けれど、書くのを諦めようとは思わない。世界史上かつてない一般市民の大虐殺を行った国アメリカを、そんな戦争を始めた戦時の日本も許せないからこそ、書かねばならない。
なぜ戦争をしてはならないか、戦時の証言が血の涙で語っているのに、それらの証言資料の多くは絶版になり、今は読む人もないのだろう。だが、戦争だけはしてならない……という事に、右も左もないはずだ。戦時の庶民の多くは、偏向教育のせいで右傾化してたが、その人たちが血の涙で語り残している。「戦争だけはしてはならない!」と。
その声を伝えるための作品を一冊も書かずに、何が作家だと、自分に向かう日々が続いている。辛い、苦しい。けれど、愛する者のために書くのだ……と。