新選組隊士、宮川信吉さんのこと

下の日記に書いた宮川信吉さんのことです。
信吉さんについては、『花天新選組』を執筆時、かなりの資料を調べたのですが、資料によって、近藤勇さんの甥と書かれたもの、従兄と書かれたもの(日野の新選組資料にも従兄とあります)がありました。
ですが、信吉さんの生年を調べてみた結果、近藤さんより9歳年下ということがわかりました。では、もしや従弟にあたるのではないかと調べてみましたが、従弟とはっきり書かれたものは見つかりませんでした。
それで、あきらかに年下であることを優先して、甥と書かれた資料を採用しました。
そのことを、先日、近藤勇ご子孫宮川清蔵さんにお尋ねしたところ、清蔵さんが、お兄上の豊治さんの調べられた資料を送って下さいました。それによると、信吉さんは近藤さんより9歳年下の従弟さんだったのです。やっぱり、予想が当たりました。
「宮川信吉は、宮川弥五郎、リノの次男。リノは、本家宮川久次郎(勇の父)の妹。よって、信吉は勇の従弟。文久二年(1862)に近藤周斎に入門。慶応三年(1867)三月に上洛して新選組に入り、沖田総司の一番隊に属す。慶応三年、十二月七日、天満橋事件で死亡。享年二十四歳。」
とはいえ、私の書くものは実録ではありませんから、そのあたりはゆるやかな真実でいいのです。つまり、この場合、従兄か甥かの選択余地しかないのなら、あきらかに年下であることが物語的には大切なのです。よって、従兄は採用しません。
創作は、史実や背景はできる限りおさえておきますが、それが登場人物の行動を縛り付けないよう気をつけなければなりません。想像をふくらませることがまず第一に大切な事だからです。
信吉さんが近藤さんより年上では、私の物語は成り立ちません。
でも、この度、清蔵さんがあらためて調べて下さったおかげで真実がわかりました。
重版の時は他の校正部分と共に、はっきり従弟と書けるのが嬉しいです。
歴史を扱う小説というのは日新月歩の新たな資料との追いかけごっこなのだと、あらためて思いました。専門の研究家の方が知っていても、私たちのような作家には、資料になければわからないことですし。
そう言う意味では、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』も執筆当時、井上源三郎の剣の免許皆伝文書がみつかっていなかったため、源さんは余り強くない剣士に書かれたそうです。ほんとは、新選組切っての剛剣だったのですが。……とまあ、創作こぼれ話でした。

あ、そういえば、「続々編はあるんですか?」と、『花天新選組』を読んで下さった方がお便りを下さいました。いえ、秋飛の物語はこれで完結です。なぜなら、侍の心を全うするためにはこの結末しかないからです。新選組や幕末はこれからも書いていくつもりですが、この物語は『月下花伝 時の橋を駆けて』と『花天新選組 君よいつの日か会おう』で完結。次は、新しい作品はぼちぼちと。