あした、書けなくなったら……

と不安になるという話が、ミクシの作家さん同士の話題でありました。
書店へ行けばあふれんばかりの本、本、本。自分が書かなくたって、誰も困らない。なのに、書く意味があるのだろうか? ……と落ちこんだりするのも、書き手ならば、誰にも覚えのあることではないでしょうか。
その気持ちはよくわかります。わたしもそうだったから。
では、今はどうなのかといえば、事故や病気で書けなくなるのはどうしようもないけれど、それ以外には、そういうことは一切考えなくなりました。
以前なら、仕事は副業とし、妻として愛する人のために生きようという選択肢もあったのですが、今のわたしは、まず立派な社会人になることに決めたのです。
つまり、誰にも頼らず、書いて書いて、男性のひとりぐらいは、頼るのではなく、頼らせてあげられるぐらいになろうと。だって、世の中の男性の多くは、それが出来ていますよね。だから、女もそうなろうと。
不安は揺れ動く心が生み出すもの。幸か不幸か、わたしは「書く」という一義においては、もう揺れ動かないのです。だから不安もありません。
実際書けなくなることはあったとしても、それはまあ、乗った飛行機が墜ちるのと同じ。その時は神さまに祈るだけです。
いえ、揺れ動かないからといって、辛いことがなくなるわけではないけれど、自分のやるべきことはクリアに見えてきます。まず、その義務と責任を果たすこと。そう決めてます。
とはいえ、実際、世間的に見たら、それが幸か不幸かといえば、限りなく不幸に近いのかもしれません。でも、幸不幸は自分が決めること。わたしは日々幸福に近づいていると思いこんでいるのです。思い込みって素敵だ〜 >いいのか、その結論で?