沖田総司の手紙

このところ、だいぶ遡らないといけなくなったのですが、以前、近藤勇さんのご子孫宮川清蔵さんに、沖田総司さんの直筆のお手紙を見せて頂いたことを書きました。
ガラス越しではなく、手にとって間近に見る沖田さんの字は、手紙の内容共々、そのひととなりを鮮やかにあらわしていると感じて、とても感動的でした。同時に、近藤さんの直筆お手紙も見せて頂きました。近藤さんの字もまた、そのひととなりを見事にあらわしていると感じました。
人生にはご縁というものがあります。はからずも、引き寄せられる赤い糸というのは、決して恋愛だけに当てはまるものではないのです。作家という職業は、ことに、思いもよらぬ赤い糸に引き寄せられてゆく職業といっても過言でないと思います。
それは、今生きているひととのご縁、そして、すでに亡くなっていても、今生きているひとと強くつながる赤い糸をたぐっていく作業です。いえ、たぐっていくといえば、作家が自分で取材攻勢をかけるように思われますが、いいえ、実は作家の方がたぐられていくのです。ぐいぐいと引き寄せられる赤い糸に引っ張られ、気づけば、はるか幕末に亡くなった人々の肉声や喜びや痛みがまるで驟雨のごとく降りそそぐ中に立っていたりするのです。そういうとき、自分なりにいいものが書けます。
ですから、現代の少女秋飛が時空を超えて沖田さんたちに出会う『花天新選組 君よいつの日か会おう』を書いていた時は、わたしは現代にいたような気がしないのです。幕末のあの時代に、私自身がタイムスリップしていたからこそ、書けた物語でした。
そういう意味では、幕末ファンタジーであっても、物語の主役である沖田さん、土方さん、近藤さん、井上さんたちは、赤い糸のその先をじっと見つめて、できうる限り、実像に寄り添いながら描きました。
取材と山のような資料だけではそれは無理だったと思います。現地に立ち、ご子孫のお話に耳を傾ければ、声なき声が聞こえます。姿なき姿が見えてきます。
それに耳を、目を、心を澄ますことのできないひとは作家には向いていないのではないでしょうか。今は、そんなことを思いながら、次の新選組の企画を練っています。
織田信長&忍者シリーズ草稿は、今日あたり上がりそうなので、明日か明後日に担当さんに入稿して、さらに作戦会議です。あ、そうや。『霊少女清花2』のゲラもとどいています。校正しなければ。さあ、また仕事にもどります。
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