時の縦軸の中で

ここのところ、夜は戦国と幕末をピンポイントにして歴史資料を読んでいます。今は『留魂録』という幕末の思想家吉田松陰の遺書文学を読んでいます。
身は たとひ
武蔵の 野辺に 朽(くち)ぬとも
留置(とどめおか)まし 大和魂
松陰の遺言にあった歌です。
大和魂」という言葉は、あの薩長が中心となった明治政府から始まる富国強兵の延長線上で、第二次世界大戦という侵略戦争に駆り立てられた現代日本人にとっては、呪うべきあの戦争を始めた軍部に重なってしまい、つい、そんな言葉に騙されないぞと思ってしまいます。
でも、松陰が生きた幕末では「大和魂」という言葉は、手あかの付いていない愛国心と自己犠牲と使命感に支えられた崇高な言葉であったのだと、松陰という人を知ってこそ、理解できます。
軍船である黒船でやって来て、大砲を撃ち鳴らし、武力で脅し、日本の港をこじ開けようとするアメリカはじめ欧州、ロシアなどの列強から、日本という国を護るための大和魂
そう、まだ汚されてはいない日本人の魂がこの遺書には書き留められていました。
4月発行予定の拙著『恋する新選組』はラブコメながら、幕末の志士たちも登場します。一話目には、坂本龍馬岡田以蔵高杉晋作が登場。二話目以降には、桂も武市も勝海舟もおそらく登場してくることでしょう。松陰自身は登場しません。
けれど、松陰の松下村塾の教え子である幕末の志士たちを描くには、激烈な思想の種を蒔いた松陰自身を知りたいと思ったのです。創作のための資料ですが、学んだことを書くとは限りませんし、いわば、基盤を知っておくという意味でしかありません。でも、この作業こそが実は楽しかったりします。
人は、同時代の人間とだけ共に生きているのではなく、何百年、あるいは千年もの時の縦軸の中で、素晴らしい魂をもった過去の人々と出会い、共に生きているのだと感じるからです。本を書く、読むというのは、時を超える作業なのです。
それを仕事にできるのですから、学者、研究家、作家というのは、ありがたい職業だとつくづく思います。
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