梅雨の庭と、沖田総司 辞世の句

【この写真はノンちゃんに頂きました。朝陽に映える紫陽花】


明るい言葉を書けない日は、花を観て雨を観て過ごしたい。
でも、仕事があるんだよね。
動かねば
闇にへだつや
花と水

沖田総司、辞世の句といわれる作。でも、真偽はまだはっきりしない。歌の意味もはっきりとは読みとれない。
総司さんは何を思って詠んだのでしょうか…
ちなみに、書き足しますと、
土方さんのこんな句があります。
さしむかふ
心は清き
水鏡

なんとも、土方歳三という人の生きざまを映し出すような句です。
総司さんの句が、この句に呼応しているという説がありますが、どうでしょうか。もし、総司さんの句が辞世の句ならば、詠まれた時期がはなれすぎているような気がしますが。
でも、もし、呼応しているとしたら、動かねば 闇にへだつや 花と水の水は、土方さんをあらわしていることになります。とすれば、花は総司さん?
総司の病ゆえに、闇にへだたれた二人……という物語になりますが、とすると、上の句の動かねばが、やや意味がずれてきます。もし、総司さんが死病に取りつかれたことで動けない、だから、二人はへだたれたとすれば、自らの意思で動かないととれるような動かねばという言い回しは、なんだか違うような。
私はむしろ、この二人の句はどちらも、剣士の視点、サムライとしての魂の句ではないかと思ったりしています。
歌や句で花といえば、たいてい桜です。水辺にはらはら散る桜の花びら、あるいは水辺の花枝を映す水鏡……そんな景色が浮かんでしまうのは私だけでしょうか。闇にへだたれようとも、花は花として散り、水は水として凛と騒がず、それは、幕末の最後の剣士であった、沖田総司土方歳三の死生観であったのかもしれません。
 【我が家の額紫陽花】

 【遠花火・これは真っ白だったのに、土のせいか青みがかっています】


 【ほたるぶくろ】

 【洋紫陽花・紅色】
 
 【遠花火・ピンクだった花がやはり青くなって…】

 【七変化】