時代祭と鞍馬の火祭

時代祭
10月22日は、京都のお祭りを二つはしごしてきました。でも、これが大変でした。時代祭は、明治から始まって時代をさかのぼっていきます。


ゆえに、薩長軍(世に官軍と呼ばれている)の呼笛隊が先頭です。
この少年たちが凛々しくてとっても素敵。


このあと、西郷隆盛坂本竜馬桂小五郎…などが続きます。



和宮さま



でも、京都守護職であり薩長軍より深く勤皇であり続けた会津藩主、松平容保公がなぜいないのか。なぜ、幕末の華であった新選組がいないのか、大きく不満です。


←徳川上洛行列

明治維新薩長に傾いた差別意識はいい加減やめて、平等にあつかってほしいです。


会津新選組は勤皇佐幕。薩長軍や志士と呼ばれる人たちは勤皇討幕。



決して、勤皇vs佐幕ではないのです。どちらも勤皇なのですから。
間違った歴史認識はいいかげんあらためてほしいです。

←牛車



鞍馬の火祭
しかしまあ、大変だったのは鞍馬の火祭
今年は急だったので、鞍馬街道の火祭りを観ようと思ったのですが、いやもう、二度とごめんです。





←火祭りの大松明。とっても大きいです!



いえ、火祭りは素晴らしかったはずですが、私と息子はほとんど見られませんでした。
6時から始まる祭りに、午後4時ごろから数時間鞍馬にいたのですが、火祭りの炎が見られたのはたった数分なのです。そのほかの数時間は、何もない裏道や畑の中をぐるぐる歩かされたり、ずっと待たされたりしていました。
つまり、いくら早い時間に行っても、火祭りの始まる前に、警備の警官さんたちに「立ち止まるな。歩き続けろ」といわれます。で、正直に歩いていると、すぐ横道へ誘導され、そこから畑の畔道を歩かされるのです。
ぐるりと回って、やっと再び鞍馬街道に出たと思って安心してはいけません。
今度は火祭りの反対方向の何もない裏道へまたもや追いやられるのです。つまり、その繰り返し。
人がまばらな早い時間から現場に入っているのに、この誘導で2時間も意味なくぐるぐる歩かされ、あとから来た人たちが動かないからとずっと待たされ、見たかった祭りの始まりは全く見られず、ようやく火祭りを見られる場所へ入れてもらったと思ったら、またもや警官さんたちにわあわあ追い立てられて情緒も何もあったもんじゃありません。
たった数分、立ち止まりもせず火祭りを垣間見たら(決して観たらではない)、またすぐ裏道へ追いやられて2時間…いや、今度は人が増えた分、もっとかも…といった次第。
おかげで、4時から行っていたのに、火祭りの火を見られたのは7時半頃の数分だけでした。このあと、もう一度、火祭りの現場に入れてもらうには、またぐるぐる何もない場所を2時間以上は歩かされるのです。
「もういや!」というわけで、私たちはもう一度祭りを観るのはあきらめて帰ってきました。



あの誘導はまったくひどいです。遠くから来たお客さんはみな怒っていました。
そりゃあそうです。だれも、何もない場所を2時間も歩かされたリ待たされたりするなんて想像した人はいないでしょう。
火祭りをおこなう鞍馬街道は旧街道ですから狭いこともあるでしょう。火祭りをおこなう民家も限られていますから、そこに沢山の人が入れないのはわかります。
でも、そうだとしても、事情を知った人たちは歩けと言われても動きません。そこにとどまっていらっしゃるのです。
そして、何も知らない遠距離の初めての人たちが追い立てられ、正直に立ち止まらず歩いて、祭りから追い出されるのです。
誘導方法も、裏道の整備もひどすぎる思いました。
いや、もう、ほんとにこりごりです……。
でも、唯一のなぐさめは、この子供たちを一瞬見られたこと。
とっても可愛かったです。