月湖の石           

 私はいとこの栄一が好きだった。
 栄一は私より二歳上。
住んでいたのは高知県仁淀川中流だった。
和紙の里、伊野町から、さらに奥まった、山の斜面に張り付いたような集落。
そこが栄一と私たちの祖父母の住む村でもあった。
 毎年、夏休みの一週間、母と私はこの田舎で過ごした。
私たちが来ると、栄一は毎日、祖父母の家へ遊びに来てくれた。
朝早く寝床で目を覚ますと、早起きのおじいちゃんと栄一が話す声が聞こえた。
あ、もう遊びに来てくれたんだ!と思うと、心が躍った。
朝ご飯を一緒に食べたら、家を飛び出して野山を駆け、家に帰ればゲームをし、テレビを見て、私と栄一はずっと一緒だった。
 ある時、栄一が仁淀川で泳ごうといった。
水着で河原へ降りると、地元の男の子らが数人泳いでいた。
「えいちっ」
対岸の一人が呼んだ。
「おう」と、栄一は抜き手を切り流れを横切った。
そのまま岩に登り、男ばかりでじゃれあっている。
友達にまじった栄一は、ふいに幼くなったようだった。 

仁淀の水は夏でもドキリとするほど冷たい。
流れも速いので、小さな子たちは月湖(増水時にできた小さな池ほどもある水溜まり。三日月の形をしていた)で遊んでいた。
 私も月湖でバチャバチャやっていたが、ここでも深みには足がつかなかった。
そこへ、栄一が男の子たちとやって来た。
「ほれ、その底には猫の死骸が沈んじゅうぜ。ちょうど、りえの足の下じゃ」
栄一がいった。
 私は驚いて手足がこわばり、あやうく溺れそうになった。
それを見て、男の子たちがゲラゲラ笑った。
一緒に笑っている栄一は普通の男の子のように意地悪だった。
 やがて、みんなは一人二人と帰って、月湖は私だけになった。
 栄一はと見ると、日差しに焼けた河原を歩きながら何かを拾っている。
しばらくして、帰ってきた栄一が「そろそろ帰るぜよ」と呼んだ
水から上がると、栄一は私の掌にジャラジャラしたものを掴ませた。
 色とりどりの小さな石だったが、表面はうっすら白く濁っていた。
「見てや」
栄一が月湖の水をくんできて、私の掌にそそいだ。
水に濡れ、くすんだ小石の一つ一つが透き通るような赤や青や緑に変化した。
「ガラス石やけ。川へ流れこんだ瓶やらのかけらが、流れてるうちにこすれて丸うなったが」
栄一はそういって笑った。
その顔は、いつもの栄一にもどっていた。

 やがて、高知での最後の夜が来た。
その日の栄一は日が暮れても帰らなかった。
「そろそろお帰り」と祖母がいった時には、山はどっぷりと闇に沈んでいた。
庭先で見送ると、栄一の持った懐中電灯が真っ暗な山道を下ってゆくのが見えた。
それは小さな蛍が、ひとりぼっちで山を落ちてゆくようだった。
 ふいに、私は泣きそうになった。
 
 あれから数十年もたってしまった。
 今でも、私はあの頃を思う。
目覚めると、障子の向こうの縁側で、早起きのおじいちゃんと栄一の話す声が聞こえてくる。
 あれは、私の人生の一番幸せだった瞬間のような気がしてならない。
実は、私は養女に出された子で、いとこの栄一が実兄だと知ったのは高校生の時。
 だが、今も、私の中では、栄一は初恋の人のままである。
         ※童話城コラム(京都新聞掲載)より転載、一部修正

 ↓あの頃の兄との思い出をもとにした小夜子の物語…

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