【2017/8月更新】作家の階段                

少年の掌と、でんでんむしの赤ちゃん



以前、「ほろ酔いエッセー」にも書いたことがあるのですが、童話、小説を書きたい人の裾野はとても広いのです。
それなりに、エッセーに近いものが書ける人たち、ネット上には、そういう才能は溢れています。
そこから文章修行の結果、一段上がると「文章がきちんと書ける人」になります。

二段目の階段は「物語の構成がそつなく出来る人」です。
これは、お話を設定して、破綻を起こさず、結末まで持っていけるということです。
ここまでは、熱心な書き手さんなら、早い人なら1年、遅くても2,3年も書き続ければやれるようになります。

大学の文学部の学生さんや、同人修行中の書き手さんは、このあたりまでは超えている人が多いようです。
でも、問題は次の一段の三段目。
三段目は、「人を惹き付ける魅力をもった作品」「ハラハラドキドキする面白い物語」を書ける人という階段です。
この階段は、三段目なのに、これまでの階段の歩幅では上れないほど一段が高いのですが、ポイントを身に着ければ、距離は縮むかも知れません。
いや、同人仲間やまだ若い学生の中にも、ちらほら、輝く魅力をもった作品の書き手、磨けばさらに輝くだろうと思える書き手がいます。
でも、「ハラハラドキドキする面白い物語」を書ける人はなかなかいません。
もしかしたら、「構成がそつなくできる」「何かわからないけれど人を惹き付ける」から、「ハラハラドキドキする面白い物語」にするまでの距離は、ロープウェイに乗らなければならないほど遠いのかもしれません。

では、四段目の階段はなんでしょう。
これは「プロになれる可能性を秘めた人」という階段です。
なぜ、「プロになれる人」ではなくて「プロになれる可能性を秘めた人」なんでしょう。
それは、面白いものを書けるからといって、みんなが本物のプロになれるわけではないからです。
面白い作品を、命ある限り、少なくとも百話くらいは提出できないとプロとはいえません。(つまり、私も、今のところ、雑誌を除いて、すべての絵本単行本を数えてまだ80冊ばかり(2012年当時2017年の現在は100冊を超えていますが…)この文章を書いていた私は、プロ過程の途中にいたことになります)

そして、最終の五段目は「時代が変わっても読み継がれる作家」です。
この目標が、やはり、書き手の最終目標でしょう。
この五段目は、売れっ子作家でも上れるとは限りません。
純文学作家であっても、芥川賞を取っても、直木賞を取っても、この五段目に行き着く人はほんの少数です。児童文学もYA小説もしかりです。
かといって、書き手の私たちに何ができるでしょうか?
できることは、魂を込めて書くことだけではないでしょうか。
世の中を舐めないで、真摯に書くこと。
自分にしか書けない何かを、提出し続けることなのではないでしょうか。
後は、時代が、歴史が、すべてを動かしていきます。
ある時代、踏みつけにされた文学が違う時代になって甦ることもあれば、一世風靡した文学が時代と共に埋もれていくこともあります。
私たちの仕事は、人間の一生といった短いスパンでは計れない仕事なのですねえ。
心して、とりかかりましょう、さあこれから、私だけ、あなただけにしか書けない「魂の一作」を。