「君とまた逢うよしもがな」与謝野晶子の愛

デビューして数年後だったと思う。与謝野晶子の伝記を書いた。
その頃も、人が人を愛するということを考えた時期だった。
あれから、ずっと考え続けているのかもしれない……って、ふと思ったので、今日は与謝野晶子を再掲します。
それにしても、晶子は強い。

「君とまた逢うよしもがな」     
             越水利江子


与謝野晶子の伝記を書いたことがある。
晶子自身が遺した膨大な歌、小説、童話、訳書、エッセイ、書簡などの他に、晶子の家族知人の手なる評伝、思い出話もあまたある。研究書にいたっては、とても読み切れない量であった。
資料に溺れながら、ともかくも原稿は書き上げ、女性伝記集として世に出たが、青少年対象の伝記とあって、書き切れぬ数々が心に残った。
作家としてより、女性としての晶子の生き様に胸打たれることも多かった。
ここで、その少しに触れてみたい。

下京や紅屋が門(かど)をくぐりたる男かわゆし春の夜の月

二十三歳の処女歌集『みだれ髪』のこの歌は、ことに女性人気が高い。
「身も心も触れあった可愛い男」という女の感覚は、男が女に持つ征服欲をないまぜにした感情とは全く違っている。
無心の赤子に対するような、愛しさといえばいいだろうか。
その姿を思うだけで、自然に乳が溢れだしてくるような愛しさといっても、これも男性諸氏には理解できないかも知れない。
この溢れるような女の愛を一身に受けたのが、後に晶子の夫となる与謝野鉄幹(寛)である。
が、この寛は自由恋愛の人であった。
林滝野という妻ある身で、晶子とも、やはり歌人であった山川登美子とも深い関係を結んだ。
滝野が去り、晶子を妻に迎えた後も、寛は登美子や増田雅子など女流歌人と恋愛沙汰を続ける。

ねがわくば君かへるまで石としてわれ眠らしめメヅサの神よ

晶子三十四歳の歌集『青海波』の一首。
この時、晶子の友人でもあり、寛の恋人でもあったという山川登美子はすでに病没している。
にもかかわらず、この凄まじき修羅。
寛との結婚は、永遠の片恋のように晶子を苦しめ続けていた。
その一方で、寛もまた師であり夫である自身を乗り越え、歌人として大きく飛躍し始めた晶子に、苛立ちと嫉妬を隠せなくなっていた。
晶子の小説『明るみへ』にこうある。

「良人はダリヤの根の元にある穴より出で来る蟻(あり)を錆包丁にて叩き廻すことを致し居り候。二時間経ちて書斎を出でて眺め候時も、三時間経ちたる時も、良人は変わらずじっと蟻の番を致し居り候。」

仕事も訪問客も、寛を素通りして晶子の名声の元に集まる。
当時の寛の異様な姿。
肌の粟立つ思いで、夫の背を見つめていた晶子は、寛に洋行をすすめた。
このままでは、夫がだめになる。
そんな気持ちだったろうか。
さて、晶子がかき集めた資金で、寛は欧州へ旅立った。
送り出し、ほっとしたのもつかの間、晶子はすぐさま夫恋しさで、気も狂わんばかりになる。
が、この時代の洋行は現代の海外旅行のような気安さはない。
まして、その資金が出版社や新聞社の出資前借であれば、与謝野晶子女史洋行と、新聞紙面に大きく報じられる社会的出来事であった。
それでも、晶子は寛の後を追う。日本に、七人もの子をのこして。
この折、彼の地で詠んだ一首。

三千里わが恋人のかたわらに柳のわた散る日に来たる

晶子にとって、寛はいまだ熱き思いをそそぐ恋人であった。
ところが、企業から資金を調達し、万歳三唱で送り出された自らの洋行を、晶子は途中で投げ出し、寛も置き去りに帰国している。
その理由は、日本にのこしてきた七人の子どもたちであった。
日本で、海外の夫を恋うたように、今度はのこしてきた子ども恋しさに矢も盾もたまらずの帰国である。
さもあらんと、晶子の亡き母なら思ったことだろう。
晶子という人は、ただ恋愛のみに執着する悪女の深情け的女性ではなかった。
母の病の折には、自らが倒れるほどに看病し、弟が戦地へ従軍したとあらば、「旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて」と副題し『君死にたまふことなかれ』を発表する情の深さである。
『君死にたまふことなかれ』は、反戦歌として取りざたされることが多いが、晶子としては、それほどの意識はなく、ただ弟愛しやの素直な心持ちで詠まれたものといっていい。
つまり、晶子は、人間やその命に対して、深い愛執を持ち続けた女性であったといえる。

昭和十年。
晶子にとって、永遠の恋人寛が病没する。
六十三歳であった。
寛の死から、晶子自身が倒れるまでの七年間に詠まれた歌二千五百首が、遺歌集『白櫻集』に収められている。その五首。

山の湯へ君が脱ぎたる衣(きぬ)なくて寂しと不如帰(ふじょき)見るままをいへ
わが閨(ねや)に水明かりのみ射し入れど全面朱なり男体の山
箱根山君を思ひて深く入り君を思ひて山出づるかな
わが上に残れる月日一瞬によし替へんとも君生きて来よ
冬の夜の星君なりき一つをば云ふにあらずばことごとくみな

在るがままの自然に浸りながら、晶子の心には常に亡き寛が宿っている。
その哀切、その熱情。
晶子は深い愛に生きた女性だった。