『八月の光』著/朽木祥


八月の光』 著/朽木祥
2012年に発売された朽木さんのこの本は、ずいぶん以前に買いました。
もう、2013年、しかも、今年のあの夏の日も過ぎたのに、今になってこの本をご紹介するのは、今の日本の危うさを、心から恐れているからかもしれません。
戦争とは、何気ない人々の日常の暮らしにとって、どれほど酷いものなのか……
防衛とか戦うとかいうような勇ましいものではなく、日々、ささやかな喜びや悲しみに心をにじませている人間が、どれほど酷く、一瞬で、この世から消し去られるか……
これだけは、戦争を体験しないとわからないものなのかもしれないと、戦争を知らない世代の私は思ってきました。
これまでも、戦争を扱った文学、原爆投下後の長崎や広島を描いた児童文学などのさまざまを読んでいながら、どこかで、どうしたって体験しないでは、その酷さはわからない気がしていました。
でも、この物語に描かれているのは、戦時中であっても変わりない庶民のつましい優しい暮らしであり、こつこつと未来のために積み重ねられていく希望の営みでした。
だからこそ、その上に襲いかかってくる原爆は、もはや、人間があやつる武器などとはいえません。敵も味方も、兵も民間人も、母も娘も乳飲み子も、人間も動物も空も水も、全てを一瞬に焼き尽くすならまだよかったのかもしれないと思ってしまうほど、人間を、命を、人とも命とも思えぬような姿にして、想像を絶するほど苦しめ抜いた上に命を奪うのが、原爆です。
それも、殺す側にとっては、胸が痛む一瞬もほとんどなく……悪魔の仕業としか思えないこの新型爆弾が落とされた地に生きていた人々の暮らしが、優しく黙々とつましいゆえにこそ、私は、本物の戦争を見たように感じました。
戦争を知らない人は読むべきです。
そして、戦争のおろかしさと、人の心の崇高さを体験して下さい。

また一方で、原爆投下の数十倍もの汚染が広がったといわれる原発事故を思い起さずにいられません。
核とは、どう扱おうが、人類を滅ぼすソドムの火であり、人が手にして道具にするものではないと感じざるを得ません。