我が青春の高倉健さん


昔、健さんと同じ空間にいたことがあります。
十代の頃です。
たった数年でしたが、京都の東映大映、京都映画などの撮影所で仕事をする小さなタレント事務所の大部屋女優でした。
総じて脇役ばかりで、多くはワンシーンのみの出演でしたが、有名どころでいえば、緒方拳さんとからむ役でセリフのやり取りをしたことがあり、その時の緒形拳さんの色っぽさに目を奪われたこととか、有名女優さんの吹き替え(代役)で、監督兼主役だった勝新太郎さんのご指導を受け、その時に「ほら、ここをこんなふうに歩いて…」と、手を取ってもらった時の大きな手の温かったことや、撮影後、中村敦夫さんからお気遣いの優しい一言を頂き、胸が震えたことなど……撮影所では最底辺の女優だったからこそ、人の優しさや温かさが胸に沁みた思い出がいっぱいあります。
正直、何にも知らないお嬢ちゃんだったので、有名俳優さんに誘われたりもありましたが、今となって心に残っているのはそれではなく、胸に沁みた思い出ばかりです。

ちょうどその頃は、いっときの高倉健さんブームが落ち着いてきていましたが、東映では、いまだに神さまのようなスターだったことは確かです。
撮影現場で見る高倉健さんは、ホントは見えないはずのオーラがくっきり視えるような気がする方でした。
その頃、私が感じていたことは、「撮影所というのは、まだ士農工商封建制が残っているところだな」ということでした。スターさんや有名監督さんは将軍であり大名の殿様のようなもので、その方々を支える武士や農民や商人などのキャストやスタッフがいて、自分のような者は、秋になると撮影所の隅っこに、カラカラと吹き寄せられてくる枯れ葉のようなもので、人間以下の存在なんだなぁ…と。
そんな存在であったからこそ、思わぬ人の思わぬ優しさに敏感だったのかもしれません。
今となっては、その頃の思い出こそが、私にとっては書くことの立ち位置です。

話を戻します。健さんと同じ時、同じ空間にいたのに、枯れ葉でしかない私にとっては、同作品に出演依頼を貰わない限り、健さんのそばにも寄れないし、むろん、口をきくことなどあり得ません。健さんと同時期に有名だった女優さんの映画には狩り出されたことがありますが、健さんの映画には一度もご縁がありませんでした(健さんの映画は、相手役の女優さん以外は、出演者は大方男ばかりでした)。
そんな遠い存在であったにかかわらず、健さんがどんなに素晴らしいお人柄かという話は、仕事仲間から(特に共演したり、殺陣をやった男優さんの口から)何度もお聞きしたことがあります。
スターさんというのは、男優さんであれ、女優さんであれ、大抵、陰ではキャストやスタッフから悪口を言われていることも多いし、撮影所の最下級の枯れ葉女優にはそういう話がよく聞こえてくるのですが、健さんの悪口は一度も聞いたことがありません。聞いたのは、褒め言葉と助けられたというような話ばかりでした。それだけでも、健さんのお人柄が伝わってきます。
結局、私自身は個人的にお話することもなく共演することもなかったのですが、現場で見た、あの見えないオーラが視えるような横顔を忘れることはありませんでした。
あの健さんが亡くなったと知って、まるで、私自身の青春が失われてしまったようで、とても悲しいです。健さんに直接ご縁がなくとも、銀幕で健さんを観ていた人たちにとっても、同じお気持ちではないでしょうか。