楢崎将作・坂本龍子顕彰会「故杉本弥寿男氏一周忌の集い」

2月14日は、楢崎将作、坂本龍子(龍馬の奥さん)顕彰会にて、かつて、私を顕彰会に誘って下さった杉本弥寿男さんの一周忌の会があり、お墓に参ってまいりました。

滋賀の高島市は雪が深く、杉林のそばの小高い墓地に、杉本さんは眠っておられました。
杉本さんが亡くなったのは、私が病気の為、顕彰会をお休みしていた昨年のことでした。訃報を聞いても、お元気で素敵な紳士だった杉本さんの姿しか思い浮かばず、亡くなったと信じられない思いでした。

でも、昨日、雪の中にひっそりとたたずむ墓標を前にし、背後の杉林から、時折、積もった雪の落ちるチリチリという澄んだ音を聞いて初めて、杉本さんは亡くなったのだと思いました。そして、そのお墓に集まった顕彰会や幼なじみの方々と一緒に手を合わせて、その時、昨年書いた『杉文 真心をつくした吉田松陰の妹』のワンシーンをふいに思い出しました。
高杉晋作の遺した言葉です。
二十七歳で亡くなった高杉晋作は、「死後の墓前にて 芸妓を集め、三味線などかき鳴らし おまつりくだされるよう たのみたてまつりそうろう」などと、死後の自分の墓前を思い浮かべ、懐しい人たちが集まって楽しく過ごしてくれるようにと願っていました。
杉本さんもそんなお気持ちでいらしたのではないかと…。
お墓参りの後、食事会があって、その会で、「越水さんは、杉本さんの彼女だって聞いてたよ」などと、何方がいったのか、そんなお話まで聞きました。
いえ、それは、まったくそんなことはないのですが、そんな噂があっても不思議には思わないような素敵な方でした。こんなに早く亡くなられるなんて思いもしませんでした。
いつか、お龍さんから見た龍馬のお話を書きたいなと思っての会員でしたが、その仕事を杉本さんに見て頂けなかったのは残念です。
皆で記念写真を撮りましたが、個人情報にかかわるので、墓参の写真だけアップします。
顕彰会の会員には、かの加藤登紀子さんのお兄様の奥様がいらして、久しぶりにお目にかかって、とっても仲良くして頂きました。
寂しく、でも、人の温かさに癒された一日でした。