闘い続けて疲れた心を癒すローマの松


「想像力」というものを考えていた今朝、ABC放送の「題名のない音楽会」をBGMにしていたら、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによって1924年12月に完成された交響曲が演奏されていた。
朝の珈琲カップを傾けながら、ぼんやりしていた私は、ふと引き込まれた。
『ローマの松』は、 第1部 「ボルゲーゼ荘の松」 第2部 「カタコンバ付近の松」第3部 「ジャニコロの松」第4部「アッピア街道の松」で構成される感動的な大叙事詩といっていいかもしれない。
その「ジャニコロの松」で、思わず、涙が溢れてきた。

遥かなローマ時代、帝国の記憶と幻想を思い浮かべるこの交響曲は、戦いに勝利したローマ軍がたどった街道沿いにそびえる松の木から観た物語とでも言おうか、時代を超えそびえ続ける(現代も街道の一部は残っている)松を、時代の証人としている。
戦いに勝利したローマ軍が彼方からやってくる「アッピア街道の松」は雄々しく壮観だが、その前に演奏される「ジャニコロの松」に、一瞬、私の想像力は心の深奥まで拡がったのかもしれない。
それは、3部の終盤、ふいに、可憐な小鳥の鳴き声が聞こえたからだった。
その瞬間、満ちた月光のなか、古の石畳の街道にくっきりとそびえる松が見え、そこで鳴き交わす夜鶯(ナイチンゲール)の姿が見えたような気がした。
人の世界の残酷、血で血を洗う戦い、国の存亡、勝利の高揚、凱旋の行進など知らぬげに鳴き交わす小鳥……
戦いで疲れた人々の心に、それはどのように響いたのだろうか。
その鳥の声も、今回は、演奏家が再現してくれた。
鳴き交わす小鳥の声が私に深く響いたのは、ささやかであろうと精一杯、子どもの未来と命をこそ守ろうと張りつめてきたこのところの心の戦いを、その小鳥の声が癒してくれたからかもしれない。
かつては演奏中にレコードで流されたという街道の鳥の声が、ABCの音楽会では小さな鳥笛で演奏され、さらに胸に迫った。


人間の想像力を培うもの、それは、見えないものなのです。
自然の中に感じる生き物の息吹、鳴き交わす鳥の声……そして、文章でしか読み取れない物語、さらに、目を閉じて想像が拡がる音楽の世界。
ことに、幼い子どもたちには、ゲームや携帯やテレビではない、想像を楽しむ文化に触れさせて下さい。
見えないものを想像する力は、見えない他人の心を察し、気遣う想像力ともなり、いじめをしたり加担したりしてしまう子どもを生み出しません。そうして、自分だけの力でものを考える大人に育てば、悪しき権力や、世の中に溢れる偽りに、なぎ倒されることもないのではないでしょうか?