『佐藤春夫怪異小品集 たそがれの人間』(東雅夫編/平凡社)

与謝野晶子泉鏡花芥川龍之介谷崎潤一郎稲垣足穂まで、作家が親交を結んだ先達、僚友、門人たちが作中に妖しく見え隠れして―。近代日本の怪奇幻想文学史を彩る文豪たちが神出鬼没、朦朧として不安定、虚実ないまぜの物語が続々と展開される。大正から昭和期の探偵小説や幻想文学、怪談文芸を先導した文壇の巨人・佐藤春夫。本書は、その知られざる本領を初めて集大成した画期的アンソロジーである。話題騒然の文豪小品シリーズ、第四弾。(BOOKデータより)
私は佐藤春夫さんのファンである。全集は持っていないが、ごく若い時に出逢ったただ一作の短編に、魂を惹き付けられ、それ以来のファンといっていい。
その作品は「美しい町」といって、童話風ファンタジーであったが、あの一作で、佐藤春夫という作家を、童話的にも天才だと感じたのだが、その時は、彼が与謝野晶子泉鏡花などを先達とする同時代の作家であったとは知らなかった。しかも、これほどの文壇の巨人であったとは、むろん知らなかったけれど、そういう知識を少し身に着けた今になって、この本に出逢えたことは僥倖であったといえる。
この小品集は、BOOKデータにあるように、虚実ないまぜになっていて、だからこそ、その不思議は読む人に迫ってくる。
その中から、映像となって目に焼きついたようになった三編をご紹介したい。
まず、「蛇」。たった数行のこの小品にドキリとしない人間はいないのではないだろうかと思う。これを見て、私は初めて佐藤春夫作品に出逢った時、「この人は天才だ!」と思った事が証明されたような気がする。
ただし、ここで数行の小品「蛇」を紹介してしまってはネタバレになるので、「蛇」に続く「聊斎志異巻八 緑衣の少女」をご紹介したい。
僧坊の学生である若者のもとへ、緑の衣を着た少女が夜ごと訪ねてくる。その少女の腰は、片方の掌で回るほど細かった……と、ここまで読めば、この少女が人間の類ではない事は、読者にも感じられる。たおやかで、掌で回るほど細い腰つきの少女。その前に、「蛇」を読んでいる私は、この少女も蛇の化身ではないかと思いつつ読み進めた。だが、そうではなかった。思いもせぬ者であった。
原話は中国の聊斎志異らしいが、佐藤春夫の描くこのシーンは、その妖しの者が去る時に遺したものが、くっきりと見えるような気がした。
そうなのだ、佐藤春夫という作家は、文章で鮮やかな映像を見せてくれるからこそ、私は彼に惚れこんだのだと思う。
そして「たそがれの人間」は、虚実がないまぜになった作品で、この作品には、作者と親交があったという稲垣足穂が思い浮かんだ。なぜなら、こんなこと、足穂か、足穂を知っている人しか思いつかないと思える描写があったからだ。
地球の上へ腹ばいにねそべって月と接吻した次の夜に死にたくなって、星と星との間へ針を通してその中間に首をくくって死ぬ話」を書こうとする少年が登場するが、この抽象的なタイトルだけでも、星と星の間にぶら下がっている者のシルエットが映像になって浮かぶのだから、佐藤春夫は限りなく切なく、切ないのに楽しい。
心や魂を遊ばせてくれるからこそ、読書は素晴らしいと言える、稀有な一冊だった。
巻末の東雅夫さんの解説は必見。