『セカイの空がみえるまち』著/工藤純子

セカイの空がみえるまち

セカイの空がみえるまち

『バッテリー』のあさのあつこ氏、推薦!「せつないだけではない、美しいだけでもない。若い魂がぶつかりあい結びつき、現実を変えていく。眩しく衝撃的な青春小説が誕生した。」
帰宅する途中、立ち寄ったことのない新大久保の駅で降りた中学二年生の空良(そら)。彼女がそこで目にしたのは、大人が公然とむき出しにする他国の人への差別意識だった。空良は、その街の、さまざまな国籍や環境の人たちが入り乱れるアパートで暮らすクラスメートの翔(かける)と、ふとしたきっかけで距離が近づく。父親が理由を言わずに失踪した原因が自分にあると悩む少女と、自分の母親が誰なのか、どこの国の人間なのか、知らない少年。セレブ彼氏の勘違いに振り回されて悩む親友をそばで見守る空良。野球部のライバルや顧問から露骨な嫌がらせを受ける翔。ふたりは、中学校で起きる人間関係に翻弄されながら、いちばん大事なことから目をそらそうとしていた。それは、自分と、自分の家族との関係……。何者であっても包み込む“東京コリアンタウン”に身をゆだねながら、ふたりは身の回りの現実たちと、気負いなく向き合えるように、ゆっくりと成長していく。(BOOKデータより)
若く無垢な魂と魂がすれ違い、触れ合って、やがて温め合う物語と言っていいと思います。登場する少年少女が何とも魅力的です。
空良、あかね、翔、それぞれに痛みを抱えつつも、他者への愛を秘めている思春期の魂たち。読み終えた後、心から、三人を応援したくなります。
彼らの周囲、東京コリアンタウンに生きる人々、脇役である家族の人生の重さにも、それに負けないしぶとさ、強さにも心打たれます。
まさに、映画のワンシーンとも思える青春の痛みと輝きを、こんなふうに描けるなんて、これまで児童書を沢山書いてきた工藤純子さんは、むしろヤングアダルト作家だったのではないかと思わされました。
いえ、児童文学作家というのは、もともと幼年も書けば、ヤングアダルトも書けてこそ、児童文学作家なのですから、この青く匂い立つような、きらめく青春小説は、児童文学作家ならではの魅力に溢れた一冊だったのだと思います。人種の坩堝ともいえるコリアンタウンに住まう人々の喜びと哀しみ、その若い魂の息吹を、最も理解し、物語として描くことができるのが児童文学作家なのです。