熱かった!児童文芸のつどい

「昨日、児童文芸のつどい2007」が無事終了しました。
熱かったです!
急用で来られなくなった方のお席など、ほんの少し空いていただけで、会場は満席でした。
ガラス越しに会場を楽しめるお子さんづれ用の二階部屋にも人影が見えました。
わたしは石崎洋司さん、令丈ヒロ子さん、香月日輪さんとご一緒にシンポジウムのパネラーでした。
放談形式なので、ボケや突っ込みが飛び交って度々大爆笑が起こりました。
こんなに愉快で楽しいシンポはわたしは初めてでした。
具体的にどんな会だったかは、来て下さった方の感想にお任せするとして、石崎さん、令丈さん、香月さん、超ご多忙の中、ありがとうございました。
それから、つどい実行委員の獅子奮迅のお働きに、心から敬意を表します。
さらに駆けつけて下さった講談社岩崎書店、大日本図書、文研出版、登龍館の編集長、担当編集さん、ありがとうございました。
本が沢山売れて良かったです。
それから、何より、遠くは鹿児島、群馬など、遠距離からも参加してくださったみなさま、この大成功はみなさまのおかげです。
ほんとにありがとうございました。
わたし自身は反省点も多々ありました。
大きな一つは、客席からの講師4人へ「どんなきっかけで作家になりましたか?」という質問に、時間がなかったので、ほかの講師のみなさんに沢山しゃべって頂こうと、「たまたま本が出て、それがたまたま新人賞などを頂いたからです」と、たった一行で答えてしまい、あとで、質問した人に悪かったかなあと、申し訳ない気持ちになりました。
それで、話せば長くなるので、あの時、時間がなくていえなかったことを、ここで書きます。
質問してくださった方が見てくださるといいのだけれど。
「わたしが作家になったきっかけとその理由」
わたしが作家になったもともとのきっかけをつくったのは、当時まだ保育園年長組だった娘です。
当時、わたしはまだワープロなんかは持っていなかったので、原稿用紙に手書きしていました。
わたしの正真正銘最初の作品は、来年講談社さんから文庫化される『風のラヴソング』というデビュー作の中の「みきちゃん」という一編です。
この「みきちゃん」の原稿を、わたしは机の上においていました。
この頃わたしは主婦で、みきちゃんはわたしの子供時代の幼なじみをモデルにした物語でした。
みきちゃんはわたしにとって決して忘れられない友だちでした。
だから、わたしはこの時、どこへ応募するとか、持ち込むとか、そういう意識も全くなく、書かずにはいられなくて「みきちゃん」を書いたのです。
その原稿が、なぜか、ある夜、わたしの机の上から消えるのです。
さがしてみると、眠った娘の枕元に散らばっていました。
「もう、こんないたずらをして」と思いました。
ところが、それは毎夜つづくのです。
それで、わたしは娘に聞いてみました。
「なんで、毎晩、枕元に散らけるの」と。
そうしたら、娘は「毎晩、寝るときに読んでるから」といったのです。
まだ学齢前の、ひらがなしか読めない娘が、です。
「読めるの?」ときけば、娘は「かなが打ってあるから」とこたえました。
「好きなの?」ときけば、娘は「うん、毎晩読みたいのん」といいました。
正直、感動しました。
それから、わたしは本格的に書き出しました。
それをまとめた『風のラヴソング』が本になったのも、これは運命としかいえない成り行きでした。
何年かのち、わたしはイラストレーターになっておりました。
で、その絵本関係の用件で、至光社という国際版絵本を出している版元へいきました。
そこで、絵本の相談をしているとき、この話はむしろ児童文学になさったほうがいいと、当時、名編集者と呼ばれた蔵富さんがおっしゃいました。
「いや、実は児童文学は、もうあるのです」というわけで、書いただけで机の引き出しに放りこんであった原稿を蔵富さんに見て頂くことになりました。
至光社は絵本だけの版元ですから、持ち込みではなく、蔵富さんの個人的な好意だったのです。
一週間ほどして、蔵富さんから電話がありました。
「読ませて頂きました。大変面白かったです。それで、我が社はご存じの通り読み物は出していません。でも、わたしだけが読むのはもったいないので、岩崎書店の池田さんをご紹介いたします」
と、蔵富さんはおっしゃったのです。
思いもしない展開でした。
感想を聞かせていただければ嬉しいと思っていただけなのに、いきなりの急展開。
その年のうち12月に『風のラヴソング』は岩崎書店から出版されました。
翌年の春には児童文学者協会新人賞を頂き、翌々年の春には文化庁から芸術選奨新人賞を頂きました。
どの展開も、予想だにしなかったことです。
その結果、わたしは作家になりました。
ですから、わたしはこの二つの賞を今でも誇りに思っています。
それというのは、ポッと出の新人にそれほどの文章力があるわけもなく、こんなに恵まれたスタートをさせて頂いたのは、出会った人々の大きな力と、一番根源にあるのは、わたしの大好きな幼なじみのみきちゃんの存在の素晴らしさだと思うからです。
みきちゃんといっしょに受賞したと思うから、わたしは「しょせん、賞なんか…」とはいえません。
みきちゃんがどんなに喜んでいていてくれるかと思うと。
それから十年後、やはりみきちゃんを書いた『あした、出会った少年』は、今度は児童文芸家協会賞を頂きました。
これも、みきちゃんの存在の力だと思っています。
だから、この受賞も、わたしにはとても嬉しいものでした。
天国のみきちゃんに、わたしは今でも語りかけます。
「みきちゃんのこと、好きになってくれる人がたくさんできて良かったね」と。
わたしは、みきちゃんと、そして、まわりのひとに恵まれて作家になりました。
これが、ほんとの話です。