仕事しすぎかな

と、思ったりします。
仕事量の問題ではなくて、気持ちの部分で。
原稿の方は後半に入って、ここで停滞。悩みましたが、今日、糸口を見つけました。今夜は原稿がすすみそうです。
というのは、今日は外でランチにするからです。ちょっと、外の空気を吸ってリフレッシュしてきます。
周囲の人たちを見る目にマイナス意識が入りこんでくると要注意。疲れているのです。このところ、どうもそうかな?と。
あくびちゃんのミクシィで書いたのをここで、コピぺしてみますね。
たとえば、私が人に対して100の誠(新撰組か!)を尽くすことができるのに、人に100もあげるなんて〜もったいな〜い。自分がすり減るかもしれないから、50、いや30にしとこ〜などと思ってると、実は自分が30の働きしかできなかったりして、さらに30の働きをしたのに、返ってくる評価はその何分の一ということになったりするのです。
なんてこと。ふだんはいわないし書かない。こういうことを書くときは、実は自分がすり減ってるような気がするとき。疲れてる自分を励ましているのかも。
といっても、これは私の生き方だから、この考えについては何の迷いもないのですが。
さらに書き足すと、誰かに対して30の生き方してると、100尽くしたい仕事や人に対しても実は100じゃなくなっている自分になっているのに愕然とするのです。
それは単にすべてを捧げますなんて、馬鹿なことではなくて、その人のために厳しくする方がいいなら、自分が憎まれても辛くてもそうするってことでもあります。その代わり、今ならいいなと思ったら、できることは、なんでもしてあげる。
実際、そういうことを自然体でできるようになってから、わたしは仕事にも人にも恵まれて幸せになりました。
でも、人間関係に疲れてる時には、こんなことを書いて、自分を励ましてるのかもしれません。
神様仏様じゃない未熟な人間やから、山谷あるのです。まあ、それもいいじゃないかと、これも自然体になれるようになりました。生きてる人間は仏さまになる必要なんかないですよね。未熟を磨けばいいだけです。