幕末ファンタジー

私の書く新選組は、いわば幕末ファンタジーです。
というのは、時代小説の新選組なら司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』『新選組血風録』。
歴史小説というなら、新選組を自分の目で見聞きした人が生きていた時代に取材された子母澤寛さんの『新選組始末記』シリーズ。おそらく、このお二人以上のものは、時代的にいっても、もう誰にも書けないと思っているからです。
歴史を踏まえた上で誰も書いていない新選組、しかもこの分野なら誰にもひけをとらないと思える世界が、私にとっては幕末ファンタジーの世界なのです。
『月下花伝 時の橋を駆けて』は、時を超えて沖田総司が現代の少女と出会う物語。
『花天新選組 君よいつの日か会おう』は、新選組を心から愛する現代の少女が時を超えて新選組の時代へおちてしまう物語です。二つの話はどちらからでも読める読み切り形式にみえますが、実は違うのです。
あえて名づければ環流形式です。
『月下花伝』を先に読めば、必ず『花天新選組』を読みたくなります。逆に『花天新選組』を先に読んでも、きっと『月下花伝』を読みたくなるのです。さらに、『月下花伝』『花天新選組』と順番通りに読んでも、きっともう一度『月下花伝』に戻って読み直したくなるはずです。だから、環流形式なんです。そして、二つを読み終えた時に初めて、物語に流れている一つの大きな流れを理解して頂けると思います。
「生きる」とは何か。
「生きる意味、死んでいく意義」とは?
大きな命題がつねに私にはあります。その大きな命題のこたえの一つを新選組の人たちは指ししめしてくれました。書きながら、その大きさにその潔さに圧倒されつづけました。
私はライフワークとして新選組を書き続けたいと思うようになりました。
あの隊士、この隊士、魅力ある人たちをどのひとも書きたいです。幕末には、新選組と対立した人たちにも魅力的なひとは大勢いますが、幕府側にも、会津藩庄内藩、奥羽同盟として薩長軍に最後の抵抗をした各藩の藩士たちには名もなき本物の侍が沢山いるのです。その人たちも含めれば、一冊や二冊の本ではとうてい描くのは無理。だから、あわてず、自分のペースで書き続けたいと思っています。どうか、気長にお付き合い下さいまし。