土方歳三の愛した京都

いやあ、ただいまです。といっても、昨日は大変で、日記の更新できませんでした。おまけに、今日は書店回りだったので、色紙を昨日の深夜に用意して、朝から出かけ、夕方帰ってきました。で、ともかく、昨日のイベントのご報告です。
昨日のイベントは「土方歳三の愛した京都」というフィールドワーク講座でした。それも、京都の歴史をご研究なさっている京すずめ学校の土居理事長さんと、かつて土方歳三を演じて、最初の新選組ブームを巻き起こした俳優さんの栗塚旭さんがご案内して下さるというぜいたく極まりないイベントでした。参加者は定員をはるかに超え、北は北海道から南は九州まで、全国から80人ものファンが集合されたそうです(それも、定員超えで参加できなかった人もあったようです)。
そして、それは、言葉にあらわせないほど、素晴らしい会でした。どう素晴らしかったかというのをぜんぶ書いていると、仕事ができないので、そのなかでも、深く心打たれたことを書かせて頂きます。それは、栗塚旭さんのお人柄です。どんな方なのか、若い人はご存じないかもしれないので、ここにご紹介。

新選組土方歳三↑ 栗塚旭さん 
※このうちわは栗塚さんファンの百太郎さんの手造りです。そこへサインを頂きました。
5月9日は栗塚さんのお誕生日でしたので、それで、10日はお誕生祝いもかねての親睦会が用意されていました。なんと、栗塚さんは72歳になられたのです。でも、そのお誕生会には小学生から60代の方まで、あらゆる年齢層のファンが集まりました。みんな、繰り返し放映される新選組、用心棒シリーズなどのファンです。祖父母から孫まで三世代のファンがいらっしゃると聞けば、栗塚さんの魅力を分かって下さるでしょうか。たとえば、ファンのみなさまの中では、栗塚さんはいまだに「栗さま」なのです。
その栗さま、当日29度の夏日のなか、上ったり下りたりおよそ8、9km(もしくは10kmぐらいはあったかも)ほどの道のりを参加者を案内して歩かれました。いえ、歩かれましたなんてもんじゃないのです。栗さまはとてもお若いのです。背筋はまっすぐ、フットワークは軽く、体格もお顔もお肌もお若い頃とほとんどお変わりなく、いまだにとてもハンサムでいらっしゃいます。これは、まったくお世辞ではありません(だって、見とれましたもの)。
そして、とても紳士で気配りの方です。およそ70人を超える参加者(フィールドワークには出てこれない参加者もいらっしゃいましたので)を引き連れ、軽妙なお話し振りでご案内して下さり、さらに「坂道ですから、すべらないように気をつけて」とおっしゃいます。実際、中年の女性がすべっておられました。その坂道の続きを、栗さまったら、後ろ向きにひょいひょいひょいと走られます。さらに回転して前向きにひょいひょいひょい、またまた回転して後ろ向きにひょいひょいひょい。そう、ちょうどお祭りの太鼓を子どもたちが叩いていたのです。それに合わせて、ひょいひょいひょい、ひょいひょいひょい、そのバランス感覚、そのかろやかさ。私だってこわくてできません。なのに、栗さまったら。
そうなんです、栗さまは紳士でいらっしゃるだけでなく、とってもおちゃめなんです。フィールドワークの途中、栗さまは道端で幼稚園の子が落としたらしい色紙でつくったウサギさんのかぶり物を見つけて拾われました。ほら、ウサギさんの顔を輪っかに貼りつけて、輪ゴムとかで頭にはめる、お遊戯のウサギさんです。栗さまったら、それをお帽子の上にかぶって、ご自分でうけてらっしゃいました。(かわいいっ)
そして、2時から夕方までのフィールドワーク、お誕生会をかねた懇親会などを通じて、おそらく、参加者の全員が栗さまに二度惚れしたはずです。それほど、栗さまは自然体のままで、誰にでも優しく楽しい方なのです。
そうそう、フィールドワークには参加せず懇親会会場で待っていらした女性がいらっしゃいました。その方が「歩けないので、ここで待っていました、もう60歳ですから」とおっしゃったのです。そしたら、栗さま、「まだ60歳のお嬢ちゃんが、そんなことエバっちゃいけません」とにこにこしておっしゃいました。「人間は年なんか関係ない。もうだめだと思えば、身体の方もだめになります。無理はいけませんが、心の持ちようは大切ですよ」と。
お誕生ケーキ
そして、懇親会も終わって、最後に、みんなで三条大橋を見に行きました。三条大橋は新しく架け替えられていますが、実は擬宝珠は古いものなのです。そこに、幕末の刀傷が残っているのです。
三条大橋に向かう途中でした。木屋町で、栗さまがまた何かを拾われました。「あ、かわいそうに」とおっしゃって。
見れば、一輪のバラの花です。どうやら、バラの一輪が首だけ折れて落ちていたようです。栗さまをそれを片手に包むようにして、顔に近づけ、香りをかがれました。愛おしいものにするように、とても優しく。それから、そのバラをてのひらの中にそっと持たれたまま、三条大橋に着きました。みなで、擬宝珠の傷をたしかめました。
三条大橋・擬宝珠
いよいよ、栗さまとお別れの時です。でも、栗さまがおっしゃいました。「よかったら、大丈夫な方だけ、三条から四条まで歩きましょう。お名残り惜しいですから」と。その時、栗さまは、ここまで持ってきたバラの花をひらひらと鴨川へ散らされました。大橋から少しだけ、ヤジさんキタさんの石像のあるあたりから、ひらひらひらひら、花びらをすべて撒き散らすように。
私は、バラの花を水にかえしてあげられたのかなと思いました。道端で人に踏みつけられるより、鴨川を流れる方がバラにとっては幸せなことではないかと。すると、栗さまがもどってきておっしゃいました。「あの下の鴨川に、お地蔵さんがいらっしゃるから」と。
そうなのです。そうだったのです。鴨川は歴史的に処刑場であり、新選組近藤勇の首もここでさらされました。それら、たくさんの人たちの霊をなぐさめるために、鴨川にはお地蔵さまがいらっしゃったのです。
栗さまは、首が折れて捨てられたバラの花を、お地蔵さまの水に浮かべることで、ふたつの供養をなさったのです。ひとつは首が折れて道端に捨てられていたバラの花の供養、そうして、ふたつめは、バラの花びらをお地蔵さまに降らせることで、河原で亡くなった方々への供養を。
道端にバラの花首が落ちていても、普通の人は見捨てて通り過ぎるでしょう。でも、栗さまは、それを見つけたら、そこにはかなく美しい命を感じられて拾われたのだと思います。そう、あのウサギさんの輪っかもそうです。栗さまは、そこにウサギさんをつくった幼い子どもの思いや姿を想像されて「かわいいな」と思われて拾われたのだと思います。
栗さまはそういう方です。私は小学生のころから栗さまのファンですが、素晴らしい人のファンでよかったと、しみじみ思いました。そして、懇親会で、私のミクシィ友達のモモっちさんが、手造りの新選組ウサギのぬいぐるみを、お誕生お祝いに、栗さまにプレゼントされたことをご報告しておきます。その時、栗さまはおっしゃったのです。「ああ、さっきウサギを拾ったのは、これだったのか」というようなことを。知らないうちに、人は目に見えない何かに引き寄せられます。そして、後で気づくのです。ああ、あれは、もうすぐ、これに会えるよってことだったんだ…とか、この人に会うためのサインだったんだとか。そういうことって、ありません?
栗さまは、きっとそんな意味のことをおっしゃったのだと思います。モモっちさんには、最高のお礼の言葉だったのではないでしょうか。
そして、栗さまに会うまで、私は落ち込んでいました。でも、栗さまに会って、わかったのです。栗さまはだれにでも優しい方ですが、とても心の強い深い方です。一度会えば、栗さまのファンにならない人はいません。人として生きるなら、栗さまを目指したいと思いました。人の美しさ、豊かさを、栗さまに教えていただきました。私が小学生の時に、新選組の栗さまを大好きになったのは、今、私がこうして新選組の物語を書くためだったのかもしれません。あの時がなければ、今の私はないのです。
栗塚さん、ほんとにお疲れさまでした。そして、心からありがとうございました。
あの場でお会いできたみなさまも、とても素敵な方々ばかりでした。みなさま、ほんとにありがとうございました。また、お目にかかりましょう。
京すずめ学校HP http://www.kyosuzume.or.jp/index.html
新選組の本、取材日記などの情報はカテゴリーの【新選組】をクリックしてくださいね。