明るく、能天気に


【鉢からあふれだしたスミレ】
何でもすぐお祭りにしてしまうその能天気はなんだ!?……と、自問自答することはないのか、といわれれば、むろん、あります。
でも、いいじゃない。楽しいことなら。いっしょに遊んでくれる人もいれば、あきれる人もいるかもしれないけど、人間、あきれられるぐらいでないと、元気は出ません。誰だって、気持ちがつながる人としか手をつなぐことはできないものですしね。
昔、私はマイナス思考(指向というよりは、思考)でした。そんなことは無理、できるはずがない。きっと、問題が起こって、ぜんぶだめになってしまうんじゃないかって不安に押しつぶされそうになったことも多々あります。
でも、ある時、酒を呑みながら「人間、潜在意識やで」と教えてくれた人がいました。
「無理、だめ」とかいうマイナス思考を潜在意識に植え付けないで、「やればできる。もっともっとやれる、大丈夫」と思考する癖をつけて、目標を見間違えず切磋琢磨すれば、潜在意識がいつの間にかそれを信じてくれる。そうなれば、修行にも身が入って、大きな夢も叶うと。
その通りでした。私は夢の半分は叶えました。潜在意識のおかげだと思います。
ですから、夢を見るのは好きです。見ない夢は叶いませんから。
明るいお祭り騒ぎも好きです。プラスのパワーが満ち溢れるから。
そんなわけで、お祭りなら何でも好きっていう日本人は、民族として素敵だなあって思うのです。でも、その一方で伝統的なものをもっと大切にしてほしいとは思います。伝統を、庶民の手に届かないところへ押し上げてしまってはいけないんです。
ほら、幕末や明治の古写真を見てください。そこに写っている人たちは、ごく自然体で着物を着ているでしょう?
着付け教室で、着崩れ一つなく、きちきちんと着なければならないというような意識を植え付けすぎたのは、着物にとっては良くないことだったと私は思ってます。
ゆったりざっくり着ること、それが粋、それがかっこいいという流行をつくれば、若者も着物を着るのです。だって、こんなに美しい民族衣装はめったにない!
お茶もお華も、歌舞伎も演劇も、琴や三味線、古武術や剣術も、どれも庶民の位置まで降りてきてくれればいいなと思っています。
書店でひょいと本が買えるように、みんながひょいと着物を着て、歌舞伎へ出かけたり、袴をつけて道場へ……そういうの、かっこいいなあって思います。
そうなったら、海外の観光客もどっと増えて、日本国中お祭り騒ぎかも!
しかし、何の話やねん。
自分突っ込みが入ったところで、まとめてみれば、つまり、お祭りは善なり!! >我田引水……