後藤竜二さんのこと

毎日、後藤竜二さんのことを思います。まだ、信じられないのです。
もう、あの笑顔がこの世にないなんて……どうしたら、信じられるのでしょうか。さんざ泣いたのに、ひしひしと寂しさが身に迫ってきているのに、記憶の中の笑顔があまりに溌剌と若くて、お元気で……だからでしょうか。
私は、後藤さんがいて下さったからこそ、世に出せたシリーズがあります。
きっかけは、私のデビュー作『風のラヴソング』でした。
風のラヴソング(完全版) (講談社青い鳥文庫)
1994年、デビュー作『風のラヴソング』が、日本児童文学者協会新人賞を頂いた時です。
授賞式と懇親会に、後藤さんがお見えになっていたのです。それもそのはず、同じ年に、季節風同人である八束澄子さんが『ふぇにっくす丸―青春航路』で、協会賞を受賞されていたので、おそらくそのお祝いに駆けつけてこられたのだと思います。
余談ですが、その時の八束さんのお美しさは、今でも目に焼き付いています。真っ白なスーツがまるでハレーションを起こしたかのようで、白い光に包まれて見えた八束さん。そのそばに、後藤さんがおられました。
私は、素人からいきなりのデビューで、児童文学界には全く無知でしたので、むろん、後藤さんがすごい作家さんだなんて知りませんでした。いや、後藤さんだけでなく、当時の現代児童文学のほとんどを知らなかったのです。
私が知っていたのは、当時ですらすでに伝説となっていた古典的名作を集めていたほるぷ出版の『日本の児童文学』という全集ぐらいでした。当然、当時、旬であった作家さんたちの作品はほとんど入っていませんでした。
しかも、デビューする以前はイラストレーターでしたから、絵本はかなりくわしかったのですが、現代児童文学の分野は門外漢だったのです。
その時、後藤さんがお声をかけて下さいました。どのようにおっしゃったのか、緊張でこちんこちんでしたから、よく覚えていません。でも、その時、季節風にお誘い下さったのだけはよく覚えています。
後に、その時のことを、後藤さんはこうおっしゃいました。
「『風のラヴソング』はほんとにいい。あれを読んで感動して、越水利江子に声をかけたんだよ。あんな作品をもっと書いてよ」と。そして、二度、季節風の連載をすすめて下さいました。
その一つが、「風の日もまわり道」というタイトルで連載した『竜神七子の冒険』(小峰書店)でした。
でも、連載が終わってから、私はこの作品をエンタメ風に改稿してみたのです。
それを読んだ後藤さんのセリフを、私は今でも忘れもしません。
「これなら本にしてくれる所はあるだろうけど、これを出すっていうなら、オレはカラダをはって阻止するぞ。越水利江子がこんなものを出しちゃだめだ!」と。
改稿の全否定でしたが、かえって、私は力をもらいました。「そっか、方向を変えてはいけないんだ」と。
その後、エンタメ路線を捨て、文学作品として『竜神七子の冒険』は出版されました。
竜神七子の冒険 (文学の散歩道)
力足りずとはいえ、高橋秀雄さんの名作といっしょに、なんとか、某協会賞の最終選考まで残っていたのを振り返れば、後藤さんのアドバイスの確かさを感じます。
そして、二つめが「地上の少年」というタイトルで連載した『あした、出会った少年』(ポプラ社)でした。この物語は、日本児童文芸家協会賞を受賞しました。(※現在は、『風のラヴソング』『竜神七子の冒険』『あした、出会った少年』をそれぞれ、ヤングアダルト以上の一般文庫にしてくれる版元を探索中です。なぜか、この三冊は子どもたちより、女子中高生以上、大人の読者や同業者に愛された本だったものですから)
あした、出会った少年―花明かりの街で (for Boys and Girls)
そして、その後も、後藤さんは「『竜神』も『あした』も悪くないけど、『風のラヴソング』の続きを書いてよ」と言い続けられました。「ああいう作品を、オレはずっと待ってるんだよ」と。
そのリクエストにおこたえできないまま、今日この日を迎えてしまいました。
後藤さんが亡くなってしまった数日後、七夕の日でした。
季節風の佐保ちゃんが、ブログに書いて下さったのです。


「以前、大会で、後藤さんは私にこうおっしゃいました。『越水は風のラヴソングのような純文学を書くべきだよ。オレはそれを読みたい』って。」
そう知らされた夜、パソコンの前で号泣しました。
もう、何を書いても、後藤さんには読んではもらえないのだと……。
「越水、よくやった!」と、あの笑顔でいってもらえることはないのです。
きっと、季節風の仲間は、みんな同じ思いでいらっしゃると思います。私だけでなく、お一人お一人が後藤さんへの思いを抱いて、作品を抱いて、ひそかに涙を流されていることでしょう。
後藤さんはそういう方でした。