他人の中のわたし

riekossy 自己というのは自分の中にあると現代人は考えていて、そこから生まれてくる発想が「墓はいらない、海にながしてくれ」というもの。そういった自己は明治維新以降に出てきた「我」であり、そんなものは大したもんではないとおっしゃったのは、養老孟司さん。
riekossy 私たちの先祖、江戸時代の人々は、対社会的な自己を強く意識していたそう。対社会的な自己とは、他人の中に存在している自己。つまり、自分というものは自分の中にあるだけでなくて、他人の中に分散して入っている。そういう自己を大切にするため、昔の人は墓をつくった。
riekossy そういう対社会的な自己を,戦後の世界が徹底的に壊して、自己はどんどん縮小していき、せいぜい自分の中に入ってしまった。その結果が墓はいらないという状態。とても、納得しました。
riekossy 私は以前から作家には墓が必要だと思っていました。なぜなら、作家は、死後も他人の中に作品というものが残る職業だからです。言葉をかえれば、自分の死後も、人々の中に生き続けてほしいと自ら願う作品を生み出すのが、作家本来の仕事だと思うからです。
riekossy 私たち日本人は、もういいかげん、かつて日本人が築き上げてきた文化、精神世界をもう一度振り返って分析しなければならないと思う。明治維新で徹底的に破壊された江戸文化やその精神世界には、現代の日本人の心を豊かにする何かが、きっと隠されている。