忘れられない絵本

のらいぬ (至光社国際版絵本)私の持っている『のらいぬ』は、第六刷の絵本ですが、私にとって忘れられない本なのです。
絵は谷内こうたさん、文は蔵冨千鶴子さん。
一匹ののらいぬが見つけたのは、一人の少年。
夏の陽射しでハレーションをおこしたような海と砂、そして灯台
駆ける少年とのらいぬ。
目鼻も描かれていないシンプルなその絵から、のらいぬの気持ちが伝わってきます。ひとりぼっちの寂しさ、友達を見つけたほっとする思い、友達と一緒に駆ける喜び……そして、突然の別れ。言葉は少なく、詩のようです。
我が家では、ぼろぼろになっても、大切な絵本の一冊として、ずっと本棚にあります。
この絵本の文を書かれている蔵冨さんは、当時、至光社のベテラン編集者さんでした。あるご縁で、私はその頃、絵本を描こうとしていて、蔵冨さんにお目にかかりました。描こうとしていたのが言葉少なの絵本だったので、蔵冨さんが「こういう絵本も出しています」とおみやげに下さったのが『のらいぬ』でした(私は一目で、谷内こうたさんの絵を好きになり、その後、至光社の谷内こうた絵本シリーズを買いました)。
その時に、蔵冨さんが、私の絵本習作をご覧になって、こうおっしゃったのです。
「あなたのこの作品は、絵本より、むしろ物語の方が向いているのではありませんか」と。
そういわれて、私は「文章の物語もあるんです。もし良かったら見て下さいますか」とお願いしてみました。持ちこむあてもないのに、書かずにはいられない気持ちで書いた物語が自宅の引き出しにあったのです。すると、蔵冨さんは「至光社では物語の本を出していませんけれど、それでもいいですか」とおっしゃいました。いいに決まっています。文章は全く素人だった私にとって、ベテランの編集さんに読んで頂けるだけで僥倖でした。
帰宅してから、原稿を郵送しました。
一週間ほどたって、蔵冨さんからお電話がありました。
「大変面白く読ませて頂きました。これは、私が読むだけはもったいなく思いますので、物語を出版している版元をご紹介します」と、蔵冨さんはおっしゃいました。
風のラヴソング(完全版) (講談社青い鳥文庫)それが、デビュー作『風のラヴソング』(現在は講談社青い鳥文庫)です。
その年、1993年12月下旬に、『風のラヴソング』は、蔵冨さんから紹介された版元から出版されました。
その3ヶ月後、1994年3月に、日本児童文学者協会新人賞に選ばれたというお知らせを頂きました。さらに1995年5月には、そのたった一冊のデビュー作が芸術選奨新人賞に決まったと、文化庁から知らされることになります。私にとっては、思いがけないことばかりでしたが、それら、すべての出発点は、蔵冨さんとの出逢いだったのです。
絵本『のらいぬ』には、そういう思い出もまた重なっています。
あの頃、のらいぬの孤独はわたしの孤独でした。のらいぬの愛も、私の愛と同じでした。
だからこそ、この絵本は、私にとって決して忘れられない絵本なのです。『風のラヴソング』と『のらいぬ』は、私にとって、切っても切り離せない赤い糸に綴られたような二冊でした。そして今、『のらいぬ』を開くと、私にはあの時と同じ切なさが、胸に迫ってきます。
とつぜんの別れ……いなくなったあの少年が、後藤竜二さんに重なるからです。そしてまた、この二冊は、私のなかで切っても切り離せなくなりました。
『風のラヴソング』は、後藤さんが最も愛して下さった本でしたから。