『雪ぼんぼりのかくれ道』

雪ぼんぼりのかくれ道
「からまつ屋」でくらすおばあちゃんに会いたくて、奥野郷にひとりでやってきた果奈。今は絶えてしまった雪祭りのことを知り、ある大切なねがいをこめて、雪ぼんぼりを作りはじめます。ふしぎなうさぎを追って迷いこんだのは、神さまの通る「かくれ道」でした。 (内容紹介より)

この物語は、季節風大会(一年一度の季節風実作合評会)で、私の分科会に参加された巣山ひろみさんの作品です。
巣山さんは、ほかに「雪の翼」(第20回ゆきのまち幻想文学賞長編賞)、「声」(第40回中国短編文学賞優秀賞)など、児童文学賞を次々制覇されている新進の作家さんです。
季節風は、そういう作家や書き手たちが、一泊二日で集まる貴重な場でもあるのです。
ともあれ、分科会に出されたこの物語は、完成には後一歩の作品だったけれど、こうして刊行された『雪ぼんぼりのかくれ道』は、美しく結晶した物語に仕上がっていました。
巣山さんがかつて、ゆきのまち文学賞を受賞されたのも、さもあらんと思ってしまう雪国の物語。でもそれは、巣山さんがそこで育ったということではありません。
いつもメモ帳を手に、目にしたこと思いついたことをメモって、さらに想像を拡げていく力が、この物語をつむぎだしたのです。
これこそが、物語を書く力です。
目にしたことに感性を研ぎ澄ませて感動する力、その感動に想像の翼を羽ばたかせる力、それらをリアルな世界に構築する力、その三つがなければいい物語は書けません。
才能の力というより、感性を研ぎ澄ませているかどうかが大きいのだと、私自身は感じています。
不思議の国のアリスを思わせる不思議な兎は、西洋の物語ではなく、日本の物語らしく、白い衣の神さまの「使わしめ」でした。使わしめというのは、神仏のお使い、召使のこと。一般には、比叡の猿、熊野の烏、八幡の鳩などをいいます。それを、巣山さんは、兎にたくしたのです。
何より、素敵だったのは「道切り」でした。
悪霊の進入を防ぐため、村境に注連縄を張る習俗を「道切り」と呼ぶのです。それが、この物語では、いわば、この世と神さまの世界との中間の世界、つまり境界になっています。
その中へ、さらに奥へと迷い込んでしまった果奈(かな)の冒険の物語。
おばあちゃんの歌に、「よう来た、よう来た、はるばる来たぞよ、果奈ちゃんが〜♪」という一節があって、私は、物語を読みながら、この歌に、勝手に作詞していました。
「はよ来い、やれ来い、とんで来たぞよ、果奈ちゃんが〜♪」……などと。
この歌で、わたしはおばあちゃんになって、あちらの世界で迷っている果奈を呼び寄せたくなりました。
そんなふうに、読者を引き込んでしまう温かい物語でした。