愛ってなに?

恋と愛ってどうちがうの? 愛と惰性はどうちがうの? 愛は奪い合うもの? それとも、与え合うもの? ……って、若い時には考えたことがありました。
今では、その答えがくっきりとわかります。
恋と呼ぼうが、愛と呼ぼうが、もし、求めるたしかなものを、相手が与えてくれない場合、それなら、別れようと思うのは、基本的に愛ではなく、契約を結ぼうとしているだけだと思うのです。
愛というのは、奪い合うものでも与え合うものでもなく、惜しみなくそそぎつづけるもの。そそぎつづけることができる心だけが、愛と呼べるものだと思います。
むろん、心だけではなく身体があり生活がある人間のこと、本来、求めるもの(結婚や婚約、恋人の位置など…)を与えられない苦しみや悲しみは深くなっていきます。でも、それは、究極、物質的なものや契約ではなく、彼の心、魂、愛といったものが、自分に向かってはいなくて、他の対象に向かっているのではないかという苦しみ悲しみになっていって、むしろ、そのことが人を深く苦しめるのだと思います。
もっとも男性の場合、愛している心や、思いさえ伝えられない人が多いのかもしれませんが、それは、怠慢でしかありません。
女性というのは、結婚というようなたしかな契約によって、彼には愛があるのだと感じ、幸せになるのです。
ただし、結婚生活が習慣のようになっていった場合は、彼女は、再び、心、魂、愛といった形のない、契約でもない、目に見えないものを、彼が表現してくれるのを待つようになります。
女性とは(一部の例外をのぞいて)、ハートで生きているのです。
男性のように、心と身体を使い分けたり、結婚を生活、外では浮気や恋愛といった、割り切リ方はできにくい性なのです。
男性には、本当の愛なんてないんじゃないか…と思う女性が多いのは、男性が怠慢なのか、それとも、本当に、女性のような愛がないのか、どっちなんでしょうか?

とはいえ結婚生活何十年を迎えた女友達を見回すと、いやいや、もっと、旦那さんに感謝しようよ!といいたくなることも、度々。
結婚って、もしかしたら、女性を男性化してしまう作用があるのでしょうか?