傑作を書こうとするな、好きな世界を描き出せ

まもなく、全国の書き手が生原稿を引っ提げて集まってくる「季節風大会」である。
あちこちで、書き手の悲鳴が上がっているのは、参加原稿〆切がこの週あたりだから。
まあ、こんな日まで仕上げずに、だらだら書いていた奴が悪いと切り捨てるのは簡単だが、〆切が見えてこないと本気になれない作家は多いから、他人事ではない。
だが、〆切を守って、大会でみんなに読んで貰う、あるいは編集さんに見て貰うというのは、ゴールではない。通過点の一つに過ぎない。
ということは、完璧でなくてもいいのだ。
たとえ、クリアできていない部分があっても、プロ作家やプロの編集さんというのは、作品の魅力を捕まえてくれる。そこがプロなのだ。
そして、「こう直せば?」「ここを深めれば?」といったアドバイスをくれる。そこからがスタートと考えてほしい。ただ、このスタート点から失速する書き手が相当数いるのは残念すぎる。
具体的なアドバイスがあるということは、書く価値のある作品だと受け止めてくれている、あるいは、この人は書ける人だと期待されているということでもあるのだから。
アラや欠陥があっても、作品に人に、魅力があると感じて貰えているということでもある。
実際、文章がどれほど上手であっても、描き出された世界に魅力がなければ、それは本にはならない。

文章修業とは、まず、自分が好きで好きでならない世界を描き出す事だ。文章の習熟より、何を描こうとしているかの方が大切なのだ。
書き手が全身全霊の愛をこめて描き出された世界は、人の心を掴む。
傑作でなくていいのだ。人の心を惹き付ける自分だけの大好きな世界を構築すること。
それができれば、スタート点に立てる。
さあ、愛をそそいだ作品を引っ提げて集まりましょう〜