一人で生まれ、一人で生きて、死んでゆくのも、たった一人


書かねばならない仕事にずっと追われている。ありがたいことだと思う。
…けれど、多忙の中、ふっと寂しくなる。仕事に追いまくられて、家事にも追いまくられて、ほっとゆっくり楽しむ時間も余裕もないなんて、人生として寂しすぎませんか?と、つい、自身に問いかけている自分がいる。
そう、働いた時間に見合う以上の癒しや収入があれば、余裕っていうのができて、住居を住みやすく改造したり、美味しいお料理を作って、ゆっくり人と楽しんだりとかできるんだろうな。
それよりなにより、〆切に追われ、心の余裕がないのが問題なのかも……
と、そこまで考えて気がついた。
もし、多忙でなければ、実はもっと寂しくなるってことを。
だって、寂しいって考える時間がたっぷりあれば、その分、寂しさは大きく重くなる。わたし、仕事に救われてるんだと。
もともと、人生なんて辛くて寂しいもの。寂しくない時間は、ほんのわずかかもしれない。一人で生まれ、一人で生きて、一人で死んでゆくんだもの、寂しいでしょう、それは。
それを忘れていられる時間が長い人ほど幸せなのかもしれないし、忘れさせてくれるのは、遊びより、やらねばならない仕事の数々だと思う。それは一面、子育てであったり、介護であったりもするのかもしれない。
どの仕事も、闇の部分を見れば、ただ辛い。でも、生まれて生きて、やがて死ぬ人間として、今生きている自分の愛を、どれほど他者に注げるかって考えれば、仕事も子育ても介護も同じ立ち位置に立てるような気がする。
もちろん、どれも甘くはないし、試練の数々を乗り越えなければならないけど。それが、わたしの生きる道と思えば、なんとかなると信じたい。

沁み通ってくる寂しさが、歳と共に深くなっていく気がします。
それが、歳を重ねるということなのかも。
若い時には若いなりの激しいような辛さや寂しさもあったのだけれど、今は、ただ静かに澄んでいく泉みたいに、透き通れば透き通るほど寂しい……
それはたぶん、ある意味、穏やかだからこそ感じられる寂しさなのかもしれません。