これまでにない「とりかえばや物語」をどうぞ♪

  『とりかえばや物語 男装の美少女と姫君になった美少年』の感想に、「田辺聖子さんの『とりかえばや物語』とほぼ同じだった」という人がいらしたけれど、どちらも原典同じですのでむろんストーリーの流れは似ていますが、同じというのは大きな読み落としです。
なぜかといえば、私の読者は、ほぼ少女なので独自の工夫をしています。
まず少女の感覚では、男装の麗人である主人公はどこまでも凛々しくないといけないのです。
途中から女々しくなるようではせっかくの物語が台無しです。
例えば『ベルサイユのばら』のオスカルは、男性に恋しても女々しくなかったでしょ? 
大人の男女ではない少女の世界はそういう美意識があります。
かつて少女だったみなさん、ほら、昔を振り返って見て下さい。
たとえ、女らしくしなさいと言われても、自分の中には、少年みたいなきっぱりした思いは残っていたのではないですか? そして、女女した女友達より、少年みたいなきっぱりした女友達が好きじゃなかったですか?
そう、少女は女そのものではないのです。女とは違う、少女という生き物なのです。
ですから、私の『とりかえばや物語…』はそういう意味で、大人の男女の事情から、男になったり、なよついた女になったりするような主人公ではないのです。
最初から最後まで凛々しさを貫くからこそ、男装の麗人は清らかで美しいのだと、少女は(少女の心を持っている人は)わかってくれるはずです。
大人の女性読者の方、少女目線をもう一度カムバックさせて読んで下さい、お願いします。
そこを読み落としてもらっちゃ、児童文学作家の苦労の甲斐がありませんよー