井上源三郎さんの埋葬地

3月に、井上源三郎ご子孫の井上雅雄さんや近藤勇さん生家ご子孫宮川清蔵さんと、とうとうみつかった源さんの埋葬地へ行ってきたのは以前の日記に書きましたが、まだ公表されていなかったので詳細は書きませんでした。
でも、ついに、井上源三郎資料館でも発表されたようですので、ここでもご報告致します。
不思議なご縁がつながって発見されたいきさつは、
日野本陣文書検討会ブログ↓
 http://hinojyukuhonjin-kentoukai.blog.drecom.jp/ 
において、連載が始まっていますので、ここでは、この日の私個人のご報告だけ致します。
新選組ファンの方は良くご存知だと思いますが、新選組大幹部のひとりであった井上源三郎さんは戊辰戦争において戦死されています。
その首を敵の手にわたすはしのびなしとして、この時いまだ12歳だった源三郎の甥井上泰助が形見の大刀と首級をもって退却、ある寺の前の田圃に埋め隠したと伝えられていました。
その場所がずっと不明だったのですが、ついに寺跡がほぼ確定されたのです。
その因縁、不思議は、日野本陣文書検討会ブログや、井上源三郎資料館HPでぜひご覧ください。
その日は朝から翳ったり晴れたり、不思議なお天気でした。
私は京都駅前のホテルロビーで、宮川清蔵さん、井上雅雄さんと待ち合わせていました。
そこで、天然理心流撥雲会の荒川治さんや新選組撮影班のカメラマンの方ともお出会いさせて頂き、五人で、淀へ向かいました。
淀では、研究家の市川さん、原田さん、谷さん、土方歳三さんご子孫土方愛さん、佐藤彦五郎さんご子孫佐藤福子さんなどと合流。
ゆかりのお寺などをご訪問お参りした後、源さんの埋葬地へ向かいました。
それが、ここです。
↓埋葬地であった欣浄寺跡にある「辨慶うどん」さん。ここから、寺の墓石などが出てきたそうです。

辨慶うどん淀店
京都府京都市伏見区納所妙徳寺15-3
TEL 075-631-8621 営業時間 午前11時〜翌午前1時
※お願い・お食事に行かれる以外のお問い合わせやご訪問はくれぐれもなさらないでください。
↓やはり欣浄寺跡にある私有地。井上雅雄さんはこの土を御霊としてお持ち帰りになりました。
すみずみまでコンクリートで固められた町で、ここと、辨慶うどんさんの駐車場だけが、まるで大地の気穴のように土のままに残されておりました。

↑まだつぼみのかたい梅の木の中で、たった一枝、満開の白梅。
わたしには、源さんが「この花の下にいるよ」と、雅雄さんにお声をかけていらっしゃるような気がしました。
その後、お参りした千両松の慰霊碑前で、鮮やかな青空がのぞいたのは、源さんの魂が癒されたからだったのでしょうか。
源さんは喜んでいらっしゃると思います。現地でもそう感じました。
今年の9月には源さんの法会があるようです。なんとか、参加したいと思っています。