安土城址の不思議な光

昨日、息子が休日だったので、原稿書いていて、どうしてもわからないことを確かめたくて、急遽、安土城址へ車でつれていってもらいました。

安土城址は織田信長が天下統一を目前に築城した幻の城です。

その美しさ、技術、規模、豪華絢爛なデザイン性などは、当時日本へ来ていた宣教師たちを通じて、ヨーロッパへも名をとどろかせた名城なのです。
とはいえ、築後一年で、信長は本能寺の変で横死、城(天守、本丸)は信長の死後、築後三年でなぞの炎上をしてしまいます。
世界一美しいと、宣教師ルイス・フロイスが讃えた名城はこの世にたった三年姿を現しただけで消滅してしまったのです。
その安土城はかつて山全体が城郭だったといっていいのですが、その十分の一のみ遺跡発掘されて、今は中心部の礎石や石段、石垣を見ることができます。

その本丸を降りたところで不思議なことがありました。
息子が正体不明の二筋の光を見たのです。
それは、蜘蛛の糸のように細く、真っ直ぐに息子の目の前に降って来たそうです。蜘蛛の糸かと彼は手で払ってみましたが、そこには何もありませんでした。
蜘蛛の糸みたいに揺れてもいなかった。真っ直ぐピンッと張ったみたいに、細い光が見えたんや」と息子は怪訝そうです。
※余談ですが、むろん、彼はこれといって霊的な経験はありません。
ただ、私と一緒に行った宇治の暗闇祭(真夜中)で、二人で写真を撮ったらオーブ(白い球形の光)が無数に写りこんでいたことがあります。
オーブといっても、滝などの水辺は水滴が写りこんでしまった場合が考えられるのでオーブと言い切れません。さらに空気中の微少な埃がストロボの光を受けて光ったせいという論もありますし、デジタルカメラのせいで写りこむという話もあります。実際、その祭でも疑問をもって、その時はストロボなしも撮りました。はたして、オーブは写りこんでいたのです。
デジタルカメラのせいなら、いつでも写りこんでいいはずなのですが、私がオーブを写したのは、熊野と暗闇祭だけです。いえ、熊野は、デジタルカメラではなく、使い捨てカメラでした。
ともかく、我がデジタルカメラは場所柄をわきまえているのか? まあ、オーブが何なのか、決定的なことはまだわからないようです。
(それにしても、撮った写真はそれはものすごい数のオーブでした。しかも何十枚も! その写真はPCが急死して失われてしまいましたが)

さて、話は安土城へもどります。
「それは何かやねえ。二本というのが啓示かも」と、私は息子にいいました。
そう、私は安土城址にはかなり濃い霊気というか、籠もったような念というか、なんともいえない何かを感じていたのです。
城址には、信長廟と息子の信雄(のぶかつ)など歴代の墓があります。そこにとても濃い何かを感じます。やや怖い……。歴史上、信雄は暗君のように伝わっています。その場で、私はうっかり、歴史を知らない息子に信雄のことを説明しかけた時でした。
ハッとしました。何か強い気を感じたのです。とっさに、息子は「それは歴史上そういわれてるだけやろ」といいました。私も「そう、ほんとかどうかはわからんけどね。どうもすみません」と、すぐさま信雄さんのお墓に謝っていました。いや、ほんとに、心からお詫びします。戦争が下手だからって、全否定されたら誰だって怒りますよね。
その後、息子が光を見たってわけです。
昨夜は、息子が仕事上の講座に出なければならなかったので、ほんとに駆け足(細部はもう一度行くしかない)。でも、行って良かったです。疑問が解けました。
安土城の凄さも実感できました。

とまあ、ここまでは、講談社に書いた物語の取材だったのですが、この後7年後、この取材地は『うばかわ姫』の舞台にもなります。ようやく、この地を描けたような気がしている2015年7月にこのページを更新しました。