こころの友

昨日、いいお知らせを頂きました。内容はここへは書けませんが、今年の仕事がいい方向へ導かれているようで、とても嬉しかったです。これまでの、今この時の苦しさに負けないで(いや、実は落ちこんだりもあったけれど)、なんとか希望を抱いて頑張ってきたことが、いいことを呼び寄せているような気がします。
そういえば、以前も書いたことがありますが、多くの友人作家たちから聞くのは、ネット上のレビューや書評、感想で傷ついたという話や、見ないようにしているという声。
確かに、あきらかに作者を傷つけようとして書かれたようなものや、あるいは「あなたは、そんなに偉いんですか?」と聞き返したくなるようなものも、あるにはありますよね。
そういうものを見ると、誰の作品であっても、私はドキッとします。そして、気の毒に思います。いえ、書かれた作家をではなく、書いたその方自身を気の毒に思うのです。いい批評なら、その人には敬意が集まりますが、意識的にしろ無意識にしろ、だれかを傷つけるためおとしめるために書かれたものは、書いたその人自身にも、決していい反応は返ってきません。
ハンドルネームだから、どこの誰かわからなくても、文章はその人の心をあらわし、心はその人自身を形作ってしまうと思うからです。
誰もが尖った心でいると、尖った表情になってしまうものです。そんな時、一番不幸なのは自分自身だと思います。だから、尖らないでいたいと、私は願っています。
とはいえ、ネットのレビューや書評、感想の大多数は本好きさんの好意あふれるものです。読めば、励まされたり、感動したり、もっと頑張ろうと思えるレビューや感想を書いて下さる方がどんなに多いことか。
私はそういう人たちに出会うのが楽しみで、時々、執筆に疲れた時に、ネットサーフィンをします。そうすると、必ずといっていいほど、素敵なレビューに出会うのですから、こんなに幸せなことはありません。
本を通じて、いい出会いができれば、その人とはある意味心の友です。そう考えると、心ない人を恐れて、心ある人に出会えるチャンスを逃したくないと思います。それが、ネットという、実際には顔も知らない出会いであっても。
一方で、こうやって日記を書いていても、これを読んで下さっている方が好意的な人ばかりではないのですから、それはそれで怖いことだと思います。でも、もともと世間というのは怖いものなのですよね。
怖いけれど、素敵なところ、それが世間です。映画「ベンジャミン・バトン数奇な人生」にも、それぞれが乗り越え、旅立たなければならない人生のドアが幾たびも描かれていましたっけ。
結局のところ、人は孤独で、世界には怖いものがあふれています。だとしても、生きていくってことは、自分の殻に閉じこもってしまうことではなく、家から出て、多くの人に出会うことだと思うんですよね。
人と人は愛を伝え合える関係なのですから、生きているうちに、書くことで、沢山の人に愛を伝えたいと思っています。
これも以前に書いたことがあるけれど、私の作品は、文学と呼ばれるものも、エンタメと呼ばれるものも、ファンタジー、活劇と呼ばれるものも、すべて、テーマは愛のような気がします。一生かけても、愛は語り尽くせない……そんな気がするこの頃です。