土方歳三の愛した京都史跡編・桂小五郎終焉の地

フィールドワークで歩いた場所をダイジェストでご紹介します。
◆ご存じ、幕末に京都守護職会津藩が本陣とした黒谷金戒光明寺
幕府の城としては二條城があるのですが、いざ、大事が起こった場合、二條城だけでは都を護れないと考えた徳川家康が、目立たないようにつくったのが、千人以上の幕府軍を配置できて、要所であり、敵を寄せつけない場所です。それが、黒谷と知恩院。この二つの寺院は、どちらも高台にあり、城構えになっています。※恋する新選組2では、会津の容保公御前での、新選組お披露目試合のシーンがここ黒谷です。

◆黒谷、真如堂から荒神橋へ向かう途中で見えた左大文字。

荒神橋を下りて鴨川河原から見上げた頼山陽の書斎「山紫水明処」。頼山陽は幕末の若者たちが愛読した「日本外史」の作者。

◆木戸孝光別邸跡。ご存じ、かの桂小五郎の最期の地です。

◆ここで、桂さんは結核で亡くなりました。趣はありますが、質素な造りです。

◆この座敷で、桂さんは病身を横たえ、何を思われたのでしょう。明治維新後の政治に失望されて、幕末に散った志士たちはこんな日本にしたかったのではなかった、さぞかし彼岸で嘆いているだろうと、心から悲しんでおられたとか。維新を見ずに散った総司、維新を成功させたのに失望の中で散った桂さんが、どちらも結核で亡くなったのは皮肉です(桂さんは胃癌であったとも)。でも、この二人が今でも日本人から愛されるのは、私欲の汚れにまみれることがなかったからではないでしょうか。