「司馬遼太郎の愛した京都」雲ヶ畑へ行ってきました

志明院楼門
雲ヶ畑は、京都市北区の最高峰、桟敷ヶ岳に源を発する鴨川源流域で、どこへ行ってもせせらぎの音が聞こえる山中です。
そこに、「都中のモノノケたちの最後の砦」といわれる岩屋山志明院があります。
京都の北の果てにあり、かつては京阪出町柳駅から京都バスが午前2本、午後2本しかなかったのです。今は1本増えていますが、それにしたって、一日にたったそれだけのバスです。バスに乗るのはおよそ1時間、ただし、志明院へ行くにはバスの終点から登り道の林道を30分余り歩かねばなりません。
距離は1キロほどだとお聞きしましたが、急な勾配の坂道の上、くねくねと曲がっているので、それよりずっと長く感じます。しかも両側に覆いかぶさるような森林、熊に注意の看板を横目に、一人で行くのは、昼間であってもかなり勇気がいります。それでも、そうやって行ったのは数年前のことでした。
目的は、お参りでした。その頃、仕事にも健康にも不安があり、魂の伴侶とこの先どうかかわっていいのかも悩んでいたのです。そう、志明院には、私が守り本尊と信じるお不動さまが祀られていて、岩屋山不動教のご本山なのです。
数年前のその時はご住職はお留守で、奥様といろいろとお話しさせて頂き、そのことが深く心に残っていました。
そして昨日、遊悠舎京すずめの講座のおかげで、今度は小型バスで志明院の前まで一気に連れていってもらうことができたのでした。あんまりあっけなく着いたので、これはこれで、一人で苦労して行った経験があってよかったと思いました。あの経験があるからこそ、今回の講座のありがたさもわかるというものです。
ご住職のお話が始まる前に、私は奥様にご挨拶しました。以前お参りに来た越水だと。
きっと、忘れていらっしゃるだろうと思ったのはつかの間、奥様が「ああっ、越水さん〜 なんて懐かしい。どうしていらっしゃるかと思っていたんですよ」と、手を取っていって下さいました。数年の空白が一気に縮まった瞬間でした。
今回のお参りが、数年前のお参りと違うところは、純粋にお参りの部分もありながら、今書いている物語の取材の意味もあることでした。
でも、奥様の笑顔と手のぬくもりを感じた瞬間、やっぱり、お不動様が再び私を呼んで下さったのだと確信しました。これから書こうとしていることにも、お不動様はお心を動かして下さったのかもしれません。心して書かねばと思いました。
志明院のお庭
そうそう、その石段を登る時、不思議な蜘蛛を見ました。
石段を横切っていたのですが、細い長い足からすれば足長グモの一種かもしれませんが、まるで磨き上げた翡翠の玉のような身体に細い細い足の蜘蛛でした。あんまり不思議でしばし見つめてしまったのですが、写真を撮れば良かったです。
ネットで探しても、そんな蜘蛛は出てきません。緑の蜘蛛は沢山いるのですが、ほんとに翡翠の玉が細い長い足にのっているような、まん丸の宝玉のような蜘蛛は見つかりませんでした。あんまり不思議なので、あれは、神様のお使い蜘蛛だったのかもと、思っておくことにしました。
志明院でご住職のお話を聞いてから、撮影不可の飛竜の滝、本堂、護摩の岩屋などをお参りしました。大岩から染み出してくる岩清水も味わいました。
ここに、かつて、ダムをつくる話があったなんて、信じられません。ご住職が先頭に立ってこの自然を護られなければ、このあたりはすべて破壊されて、鴨川はひどく汚染されることになったでしょう。
もしや、ご住職はお不動様の化身なのか、お使いなのか。穏やかなご風貌の奥に、人間の命の根源である美しい自然を破壊する者、金儲けをたくらむ者に対する憤怒のお顔が隠されているのかもしれせん。
日本の自然に、これ以上ダムはいりません。ダムは何より、日本人の命の根源である水を汚染するからです。
これまでのダム政策の多くが、一部の人、一部の企業を潤すためだけに続けられて、国民の血税が無駄に使われてきたことを国民全体が知らねばならないし、声を上げなかったことも反省しなければなりません。そんなことも、理屈ではなく、この地に立てば理解できます。
その日、志明院のご住職ご夫妻に送られて、私たちは都心に帰りましたが、お別れするその時、私は奥様と何度も手を握り合ってお別れをいいました。
奥様は励ましのお言葉を下さったのですが、「でも、頑張りすぎてはいけません。心が向かうようにお仕事をなさって下さい」と、いって下さいました。
そのお言葉は、私にはお不動様のお声にも聞こえました。
ここ数年、頑張りすぎて自分を見失いそうになり、さらに健康も危うくなるような仕事量の中で生きてきたものですから。
ああ、やっぱり、呼んで下さったのだ……このお言葉を聞かせて下さるために。それは、私にだけ理解できる神様のお声でした。
 雲ヶ畑の祖父谷川
そして、この日の講座は、偶然、栗さま(俳優、栗塚旭さん)もご一緒でした。
その後のご報告は、また明日。