雨は降らなければならない


今、ヴァンパィアの物語を書いてます。
アンソロジーなので短編、でも、実はもっと長い物語の習作のような作品です。
〆切より早めに入稿したいのですが、できるでしょうか…。

それで、今夜は「遠い日の日記から」。
ある朝、朝風呂へ急ぐ娘が、台所を通り抜ける際、あるフレーズを二度も繰り返しつぶやき、通りすぎたのです。
「痛みは変化の母。雨は降らなければならない。痛みは変化の母。雨は降らなければならない」と。
なんで、そんなことをつぶやいていたのか、慌ただしい朝の一瞬でしたので、そのままになってしまったのですが、家で一人になってから、ふと、あれって神さまの声ではなかったかと思い当たったのでした……。
なぜかというと、当時の私は精神面で試練に遭遇して、毎日、深いところの痛みと格闘しているところだったからです。
それで、夜に帰宅した娘に、わたしが朝思ったことを伝えました。
そしたら……。
「お母さんって、霊感あるんやない!? びっくりしたぁ〜」というのです。
聞き返すと、「あれは、ほんまに神の声やねん」と。
彼女の説明はこうでした。
「あれはウィル・スミスの歌なんやけど、英語の歌詞の、どういうわけか、あのフレーズだけが、今朝、わたしの頭の中に鳴りひびいてしょうがなかったん。それで、英語の歌詞をつい頭の中で翻訳しながらつぶやいてたん。
それを通りがかりに、お母さんのそばで二度繰り返したのも不思議やけど、あの歌詞に書かれたあのフレーズ、『痛みは変化の母。雨は降らなければならない』は、ウィル自身が、ある時に聞いた神の声なん。それを歌にしてはるの。
それと同じ言葉を、英語のわからんお母さんが日本語で聞いて、何も知らんくせに、それが神の声やって直感したのはすごすぎるぅ。つまり、わたしは、なんも知らんと、お母さんのために神さまを降霊した巫女っちゅうことやんかぁ〜」と。
これって、す、すごくないですか。
ともあれ、我が家的には、すごい出来事でした。
「神の声に、国境も言語も宗教もないんやなぁ」と、しみじみつぶやいていた娘。
アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫)
一方で、わたしは以前にも書きましたが、『アルケミスト』という本の「前兆」という言葉も思い出しました。
「前兆に注意し、良い前兆を見きわめ、自分の信じる道を進みなさい、そうすれば、全宇宙があなたを支援するでしょう」という……。
アルケミスト』のすごいところは、この本のいう「全宇宙」の中には、石ころやただの硝子コップや、泥棒や砂漠や風まで含まれるところです。
いつの間にか、宇宙の中のひとりだと体感できる本なのです。
実際、物を書くには、それぐらいの幅に広げた意識が必要ですから、私にとっては、『アルケミスト』はとても自然に受け入れられる世界でした。
そう、神様の声は、普通の人のことばや行動を借りて、降りてくるのです。
あなたも、心当たりはありませんか?