時々は記憶から引っ張り出して、刻みつけておきたいこと

[【京都木屋町、傾いた町家。でも、立派なビルよりずっと風情がある…】


これは、かつて、作家の集う飲み屋で聞いたお話です。
人間の心(脳ともいえる)には、末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)があるのです。末那識は梵語でmanas、意識と訳します。
唯識論でいう八識(8つの意識作用)の7つめの意識で、生きている限り人間が抱き続ける「自己愛ゆえの迷いの心」が末那識です。一方、阿頼耶識は、経験を蓄積して人間の個性を形成する人間存在の根底の意識です。人間のあらゆる心的活動のよりどころといえます。
で、この末那識で起こる迷いの心やマイナスイメージは、知らず知らずに阿頼耶識に蓄積されて、その人間の心的世界を決定づけてしまうのです。
つまり、人は自分のために、いいイメージを持ち続けないといけない。そうすれば、その人間の心的世界も豊かな素晴らしいものとなるというお話でした。
子どもが、奥深い人間や豊かな自然、心を打つ本などに出逢うと、子ども自身の末那識はいい刺激を受け、阿頼耶識に良いイメージを蓄積します。
反対に、暴力的な環境、映画やゲームなどの破壊的なイメージを焼き付けられると、阿頼耶識にはそれが蓄積されてしまい、子どもの心的世界はその通りの世界になってしまいます。
現代起こっている未成年の残虐な事件などは、子どもの心的世界の荒廃を映し出しているともいえます。だからこそ、子どもや若い人たちには、豊かで力強い、闇から光を見出す物語(ただ甘い砂糖菓子的童話でなく)を、沢山読んでもらわないといけないのです。
児童文学とは、こどもの心的世界を構築する大切な心の栄養だということです。むろん、豊かな自然、人や動物とのふれあいなども心の栄養です。
こういった心の栄養は、大人になるまでのどこかで摂取しないと、栄養の偏った、下手をすると栄養失調の心を持った大人になってしまうということなのかもしれません。